生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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契約書が存在しない世界で生き抜く──広江礼威『BLACK LAGOON』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 広江礼威『BLACK LAGOON』は、東南アジアへ出張中に運び屋集団に拉致されたサラリーマン・岡島緑郎が、裏社会の組織で生き抜いていくクライム・アクション作品だ。一見突拍子もない舞台設定の作品だが、フリーランスとして働くビジネスマンにとっては意外に学べる点が多い。 さすがにビジネスの場で突然ぶん殴られたり銃で撃たれたりすることはないが、フリーランスは契約書がない状態で仕事をせざるを得ない場面も多く、そのぶん不条理なトラブルに巻き込まれることもある。あくまで個人レベルではあるが、明文化されたルールのない世界で生き抜くためのヒントがこの作品の中に隠されていると感じた。 国内大手の商社・旭日重工の社員として順調なキャリアを歩んでいた緑郎は、会社と裏取引を行っていた運び屋組織との間のトラブルに巻き込まれ、人質として誘拐される。会社の面子を守るために上層部から切り捨てられ、緑郎は犯罪集団であるラグーン商会に合流し、行動をともにすることになる。それまでの平穏なサラリーマン生活から一転し、非合法な商売も暴力も銃撃戦も日常茶飯事の世界へ──。あまりにダイナミックな“転職”によって、緑郎はそれまでのサラリーマンとしての常識が一切通用しない組織に身を置くことになる。 当たり前だが命の危険もなく、働いていれば給料をもらえる会社員時代に比べ、一歩間違えれば命も簡単に吹き飛んでしまう運び屋稼業はあまりにリスクが大きい。それでも緑郎は、今までの人生を捨て、そこでゼロから新しい人生をスタートする覚悟を決める。そしてラグーン商会のボス・ダッチ、銃撃の名手の女性・レヴィらの手荒い“教育”によって、緑郎も徐々に新たな環境に適応し、悪党としての才覚を表していく。 「いいことを教えてやるよ。悪党にも理(ことわり)ってのはあるんだぜ」 (『BLACK LAGOON』1巻より) 無秩序のようにも思えるラグーン商会にも、「仁義を通す」「互いを深く詮索しない」といった暗黙のルールは存在する。仁義にもとる行動を取ったり、不義理な交渉を持ちかけられた相手には容赦なく反撃する。裏社会には明文化された契約書やルールがないからこそ、そうした互いへの気遣いや微妙なバランスによって商売が成り立っているのだ。そして、だからこそ同じ境遇の仲間に手を差し伸べたり、時には金銭のやりとりを度外視した人との交流が生まれることもある。 もちろん仁義も大事、しかし…… なんの戦闘スキルも持たない緑郎の武器は、サラリーマン時代に培った「交渉術」と「計画力」である。暴力が苦手な彼は悪党相手に巧みな駆け引きを仕掛け、時にはセオリーを無視した無謀にも思える作戦で難所を突破する度胸によって、ラグーン商会の中で居場所を築いていく。ほかのメンバーに比べて圧倒的に戦闘スキルで劣る彼は、自身の武器である頭脳を最大限に使って、デタラメな世界で荒くれ者たちと互角に渡り合う。 彼のボスであるダッチもたびたび「よく頭を使え」と語るように、無秩序な世界だからこそ、逆に仁義さえ通していればなんでも金を稼ぐための武器になるのだ。どんどん悪党に染まっていくことへの葛藤も作中ではもちろん描かれるのだが、大手企業のサラリーマンという盾を失った緑郎が、己の体ひとつで不条理な世界で奮闘する様はなかなか痛快である。 コロナ禍によってようやくフリーランスへの補助の不足や環境の悪さも可視化されるようになったが、まだまだ環境整備は進んでいない。挙句の果てにはインボイス制度の導入によってますますジリ貧に……といった未来も予測されている。そんな状況で、利口に従順に仕事をしていくのはバカらしいと一端のフリーランスである私自身も感じている。私はこれまで一度も契約書を交わしたことがない。だから不利な交渉を受けたら納得するまで話をする。仁義さえ守っていればいいのだ。そうしているうちに、たまに同じ敵と戦う仲間と会えることもある。それはそれで楽しい。雇用関係も契約書も存在しない、なんでもありのオープンワールドで生き抜くためには、頭を使って、自身のスキルを最大限に使って、しぶとく戦うしかないのだ。 そして、ここまで書いておいて……とは思うが、明文化された契約やルールはどの世界にも当然あったほうがいい。私は別に非合法な運び屋ではなく合法なライターなのだから、契約書を交わして仕事をする世界のほうが断然働きやすいに決まっている。もちろん仁義も大事だが、仕事をする上で仁義しか頼るものがないのはさすがに困る。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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マッチョイズムの凡庸さを暴く──押見修造『おかえりアリス』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 ※本記事には性的な記述が含まれていますのでご注意ください 俗悪な「男らしさ」への欲望 21歳のとき、初めてセックスをした。まったく気持ちのよい話ではない。苦手な方は読み飛ばしてほしい。 大学やバイトの飲み会で周囲の男友達が「そういう話」をしているときに、私はグラスの水滴を拭ったりスマホに目をやったりしながら口をつぐんでいた。中学、高校と同性しかいない野球部の環境にどっぷり浸かって思春期を過ごし、盛り上がるのはほとんど野球の話か「そういう話」だった。そして大学に入ってからも、性交経験がない自分は男として欠陥品である、という価値観を内面化していた。 「早く男として一人前にならなければ」。陳腐で偏狭な動機で、男友達とゲーム感覚で合コンへ出かけた。異性と話すのは苦手だった。しかしそれは自分自身の甘えであり、男としての弱さ、情けない部分だと私は認識していた。野球の基礎練習を繰り返すように、何度も反復を重ねればその欠陥は克服できるはずだと思った。実際に私は対話のコミュニケーションではなく、恥ずかしさやうしろめたさの感覚を麻痺させたまま会話をする練習を重ねた。その場の空気に合わせた軽口やお笑い芸人のトークを真似した冗談によって、飲み会を盛り上げたりデートに誘ったりするやり方を身体化していった。そうやって私は、欠点を克服したのだと誇らしい気持ちになった。おそろしく平凡に、マッチョな男性像を内面化していた。 そして合コンで知り合った女性と、どこかで聞いたような手順をなぞって初めてホテルへ行った。シャワーを浴びて、同い歳ということ以外ほとんど何も知らない女性の体に触れて、そのとき「取り返しのつかないことをした」と思った。目の前にいるのは、私の想像の中で相対化していた「女」ではなく、生きている人間だった。その感覚が薄れていた自分自身におぞましさを感じた。 最初はその真っ当な恐怖心すらも反復によって克服できると思っていたが、その後も私は異性と向き合うことができなかった。そして、何度試してもセックスができなかった。生身の人間を目の前にして体がうまく動かなくなり、「男なのに」という罪悪感が頭をかすめ、意識すればするほど勃起できなくなる。 その後、恋愛やセックスに限らず、コミュニケーションはけっして反復の成果ではなく、ましてや自分の感覚を麻痺させることでもない、と理解するまでにはとても長い時間を要した。しかし「男として」の不能感はずっと消えなかった。 「男はもう降りました」 「「男はこうだ」「男なら当たり前」って言われてること 僕にとっては全部違った」 「あと 僕は男を降りただけで 女になりたいわけじゃないから」 (『おかえりアリス』1巻より) 押見修造『おかえりアリス』を読んで、自分の中に染みついた強固な男性性のおぞましさを改めて思い出した。うまくセックスができないという「男として」という陳腐な呪いから、お前は本当に抜け出したのか、と鋭利な刃物を突きつけられる感覚。 物語は、主人公の幼なじみの室田慧が女子の制服を着て学校に現れるところから動き出す。クラスメイトの好奇の目に晒されながら、慧は「男は もう降りました 下世話な質問はしないでください」と宣言する。周囲の軽口に同調せず、先輩からの嫌がらせに抵抗しながら自身の選択を貫く慧。男女二元論を前提としない生存のあり方、異性愛規範に捉われない性の向き合い方を実践している慧の描かれ方は、非常に価値のあるものだと思う。 その慧と対照的に、高校生なりに旧弊の「男」を内面化している主人公の亀川洋平は揺れ動いている。ことあるごとに「男なのに」「男だから」と考える洋平の姿に、根強く社会に跋扈しているマッチョな価値観が重なって映る。おそらく高校生の年代になるよりも遥かずっと前の、男子の遊び場のコミュニティからすでにその価値観は培養されている。けっして先天的なものではない。 好意を寄せていた三谷結衣と付き合うことになった洋平は、彼女の家で初めてセックスをしようとするが、彼は勃起できない。「私…ダメなんだ」と泣く三谷を目の前に、洋平は狼狽する。 「でも……で…も…たたなかった… できな…かった… いざ……いれようとしたら…全然ダメだった」「ハハハ…おかしいよな俺…! 男失格だよな…!」 (『おかえりアリス』3巻より) 女性を前にして「たたなかった」ことを恥ずべき失態だと感じている洋平。自分自身を追い詰めていく彼に対し、慧はこう語りかける。 「たたないからって どうしてダメなの?」 (『おかえりアリス』3巻より) 「たたないこと」は男性として失格である──。文字にすれば笑ってしまうほどこの陳腐な呪縛から、私は本当に逃れられているのだろうか。洋平がどういうやり方で抜け出していくのか、慧と三谷がどう自身の性と向き合っていくのか、本作の結末はまだ描かれていない。ただ、正面から「男として」というマッチョイズムの陳腐さを暴き出す貴重な作品であることは間違いない。 ずっと自分の中にある強固な男性性から逃れたいと願ってきた。私はまだ、抜け出せていない。ここまでの凡庸な自分語りそのものが、自己言及的に私の陳腐なマッチョイズムを表しているのかもしれないと考えると恐ろしくて仕方がない。対話を通じたコミュニケーションの経験を少しずつ重ねるなかで「男らしさ」を降りたつもりでも、ふとした折に自分の中にある「男らしさ」への欲望が顔をのぞかせる瞬間がある。本作は、私のように未だ旧弊の価値観に毒されている男性に、その悲しいほどの凡庸さを突きつける説得力を宿している。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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誰でも船は出せる──『海が走るエンドロール』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 かつてカメラは、一般市民では手の届かない高級品だった。安価かつコンパクトな普及モデルが登場し、誰もが写真や映像を撮影できるようになったのは1990年代に入ってから。その後、2000年代初頭には携帯電話にカメラ機能が搭載され、日常の場面でカジュアルな写真撮影が可能になる。そして現在、InstagramやYouTube、TikTokといったプラットフォームが広く浸透し、表現の扉はあらゆる人々に開かれた。専門知識や機材がなくても、アプリひとつで作品制作ができる。新しいメディアが流行するたびにそこで生まれる表現を否定する向きもあるが、それもまたかつて何度も繰り返されてきた歴史である。 90年代、フィルムで修行を重ねてきた一部の写真家が「デジタル画像は写真じゃない」と強弁したように、YouTuberは強烈な偏見の目に晒され、TikTok書評家もSNSで理不尽に槍玉に挙げられる。しかし、いくら旧弊の側がその価値を主張したとしても、新しい表現は生まれ続ける。私自身はまず、この世界に存在するすべての作り手に敬意を払うという立場を取っている。作り手が生み出した作品の価値や良し悪しを検討するのはその次だ。 「表現の一歩目」の葛藤と決断 たらちねジョン『海が走るエンドロール』は、表現が今まさに生まれる瞬間の感情の動きを丁寧にすくい上げた作品だ。主人公は、65歳の茅野うみ子。数十年ぶりに足を踏み入れた映画館で美大生の濱内海(かい)と知り合い、映画制作に没頭する彼の姿に刺激を受け、自らも映像の道を志す──。 あらすじからもわかるとおり、『ブルーピリオド』(山口つばさ)や『左ききのエレン』(かっぴー/nifuni)に代表される近年の“美大マンガ”の系譜にある作品だ。そして、本作において特筆すべきはその「表現の一歩目」の葛藤と決断にある。 映画に関心を持つうみ子はこれまで表現や創作に携わったことがない、極めて一般的な地点からスタートしている。「映画を観ている人が好き」といううみ子に対して「本当は映画作りたい側なんじゃないの?」と海は訴える。そこから海の通う美大の映像学科の願書を取り寄せ、少しずつ映画制作への道に進んでいく……が、その歩みはとてもスローペースだ。 海が参加しているグループ展のギャラリーで、うみ子がスマホで撮影した映像を流そうとしたときも、彼女は「ただの老後の趣味だから」と謙遜してしまう。けっして「老後の趣味」ではないことは、本人もわかっている。それでも、自分よりも年下の美大生に囲まれて萎縮し、自らの意思で表現をすると決めたのにもかかわらず、言葉が滑り出してしまう。そして、海からこう指摘される。 「老後の趣味って言ってましたよね」「…そういう思ってもないこと言ってしまった時 後悔しないんですか」 (『海が走るエンドロール』1巻より) ものを作ること、人前にそれを差し出すことの困難さに比べて、「表現したい」という心を簡単に折るような棘はいくらでもある。うみ子には、多くの大人と同じく、衝動や勢いだけで表現ができるような若さはない。「老後の趣味」という予防線を張ることで、無意識にその棘を避けようとする心理は痛いほどわかる。 この文章を書いている私自身、学生時代は写真家に憧れ、少しだけ写真を専門的に学んでいたのだが、ゼミで指導教官から講評を受けるだけでも毎回胃が押しつぶされるような気持ちになった。今振り返ればそれなりの時間と労力をかけて制作に取り組んでいたが「少しだけ学んでいた」と書いてしまうところにも、改めて自分の卑屈さを感じている。しかし、たとえ趣味であっても仕事であっても、アマチュアであってもプロであっても、人前に何かを差し出す時点でその予防線は意味を持たないのだ。私は最後までその覚悟を持つことができなかった。 「船を出す」という選択 うみ子はまだ映像の基礎を学び始めたばかりで、専門的な知識もスキルもない。しかし、スマホで動画を撮ることはできる。表現の扉は、年齢もキャリアも技術の巧拙も問わず、あらゆる人々に開かれている。 ロケハンに出かけたうみ子は、同行した海に自身の胸中を吐き出す。 「作る人と作らない人の境界線てなんだろう」「船を出すかどうか…だと私は思う」 (『海が走るエンドロール』1巻より) うみ子は1巻の終盤で、表現者としての自身と向き合う覚悟を決める。「誰でも船は出せる」──そこに本作のメッセージがはっきりと打ち出されている。その船が風を捕らえて洋上に出ていくのか、あるいは荒波に揉まれて沈んでいくのか、その行方は誰にもわからない。かつて写真家を目指して挫折し、今こうして別のかたちで筆をとっている私も、まだうみ子と同じく浅瀬にいるが、もう一度小さなイカダで海へと漕ぎ出しているつもりだ。 メディアもテクノロジーも日々アップデートを重ね、それに呼応して新しい表現も生まれ続ける。船を出すという選択を取ったすべての人を祝福したいし、社会はすべての船を寛容に受け入れる大海であってほしいと願う。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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アイドルシーンをめぐる問題の所在は──『推しの子』(赤坂アカ×横槍メンゴ)
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 美しい“嘘”を成立させるのは誰か 「アイドルは偶像だよ? 嘘という魔法で輝く生き物 嘘はとびきりの愛なんだよ?」(1巻) 『週刊ヤングジャンプ』と『少年ジャンプ+』で連載中の『推しの子』(原作:赤坂アカ/作画:横槍メンゴ)は、主人公が“推し”のアイドルの子供に転生するというファンタジーの設定を用いて、競争の激しい芸能界の裏側でしたたかに生き抜く兄妹を描いている。 本作で強調されているのは、地上波のドラマや大規模な公演などから想像される芸能界の華やかな「表」と、競争に負ければお払い箱となってしまう 「裏」の激しいコントラストだ。 主人公・星野アクアの母親である星野アイは、アイドルの仕事は「上手に嘘をつくこと」だと語る。そして16歳にして双子の子供を授かった彼女は、そのことを隠し通したままアイドル活動を続ける道を模索していく。 デビュー当時の星野アイを支えてきたというプロデューサー・鏑木雅也も、アイドル時代の母親の人物像を探ろうとするアクアに対してこう語りかける 「ファン目線の幻想なんてものは実物を知れば壊れるものだ これに関して例外は一つもない」(4巻) しかし、ここで “嘘”や“幻想”を、そのままの意味で現実のアイドルシーンやエンタテインメントと結びつけるのは難しい。 現在のアイドルシーンでは、カメラの前やステージ上で表現される「表」とセットで、そこに至るまでのアイドル本人の努力や苦悩といった「裏」の姿も消費の対象となっている。嘘と真実の二項で語れるものではない。 しかし一方で、そうした構造は過剰な負担となってアイドル本人の身に降りかかっている。本来であれば公共の場に差し出す必要のないプライベートな部分を詮索されることは、ストーカーによる傷害事件など物理的な危険につながる。 本作では、主人公の母・星野アイはストーカーに殺されてしまう。これはけっしてマンガの中だけの話ではなく、実際に起きている問題であることを忘れてはならない。 「嘘は身を守る最大の手段」 実際に第三章の「恋愛リアリティーショー編」では、2020年に『テラスハウス』で発生した自殺事件を下敷きにストーリーが展開されていく。 恋愛リアリティーショー出演のオファーを受けたアクアは「想像してたよりやらせが少ない」と収録の感想を口にする。そして双子の妹・ルビーから「やらせが少ないのは良い事じゃない?」と問われたアクアはこう答える。 「観てる側からしたらそうだろうけど 嘘は身を守る最大の手段でもあるからさ」(3巻) ここで嘘=フィクションは、視聴者に夢や幻想を抱かせる装置であると同時に、生身の人間を守るシェルターであると指摘されている。 作中でもリアリティーショー出演者のひとりがSNSでの過度なバッシングを受けて自殺未遂を引き起こす場面がある。ここで浮上するのは、フィクションを引き剥がされ、生身の人間(という体裁)としてタレントをカメラの前に立たせることの残酷さだ。 本作では、多くのファンに求められる“美しいフィクション”を作り上げるためのアイドル・俳優たちのたゆまぬ努力と緻密な計算が描かれている。歌やダンス、演技……と、彼女たちは自身の適性やスキルを冷静に見極めながら、清濁併せ吞む芸能界で生き抜く術を身につけていく。 しかし忘れてはいけないのは、この「嘘=フィクション」は、観客の協力なくしては成立し得ないということだ。 “美しいフィクション”を守るために SFや時代劇を観て「これは作り物だ」と指摘する人はいないし、演劇を観て「これはハリボテだ」と文句を言う人はいない。全員がフィクションという約束事を共有することでエンタテインメントとして楽しんでいる。 パフォーマンスと同等かそれ以上に本人のパーソナリティが重視されがちなアイドルも、テレビやSNSといったメディアを通じて発信している以上、大前提としてそのキャラクターは“フィクション”として楽しまなければならないと私は思う。もちろん、そのフィクションから素直な感情や言葉が漏れる瞬間はいくつもあるし、それに胸を打たれた経験も数えきれない。 ただ、アイドルの意図しないプライベートに対する詮索や言及は“フィクション”の約束事を客席から崩壊させることにほかならない。公演中の舞台に上がって「これは作り物だ」と叫ぶような愚かな行為である。 たとえば、週刊誌によるアイドルの熱愛報道などはその最たる例だろう。 本来、他人のプライベートな恋愛事情を勝手に晒すことが許されるはずがない。ましてや盗撮は人権侵害である。なぜ、アイドルだとそれがまかり通ってしまうのか。意思を持ったひとりの人間に「恋愛禁止」という勝手な価値観を押しつけること自体が間違っているという議論になぜならないのか。 ファンが怒りを向けるべきは絶対にアイドル本人ではない。「文春砲」などと言ってもてはやすのは人権侵害に加担する行為である。 本作で描かれる“美しいフィクション”はアイドル本人の努力だけでは守れない。ことアイドルシーンにおいては、ファン側が是正すべき課題はいまだ多い。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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傷を背負って生き延びる(宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』)
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 「待たせる人」と「待たされる人」 愛する人を「待つ」という行為は、魔法をかけられるようなものだという。つまり、電話がかかってくるまで、あるいは待ち合わせの場所にその人が現れるまで「そこを動いてはならない」と静止させられている状態。そして、喫茶店のドアを開ける音やスマホの振動をすぐさま察知し、似たような人影を愛する人と誤認して、そのたびに落胆する。「待機とは錯乱のことなのである」と哲学者のロラン・バルトは言う。 「わたしは恋をしているのだろうか──然り、こうして待っているのだから。」相手の方はけっして待つことがない。(中略)結局のところわたしは暇なのであり、時間に正確で、早めに来てしまっている。「わたしは待つものである。」これが、恋する者の宿命的自己証明なのだ。 (ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』) 反対に、「待たせる」というのは古くから人類につきものの「特権」であるという。いつまでも来ない「待たせる者」と、その場に留まり続ける「待たされる者」の非対称性を思う。どちらかといえば待つことのほうが多い人生だった。 「ブンちゃんはいつも 早く準備しすぎちゃうんだよね」 (第1話「あなたはブンちゃんのはじまり」) 宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』は、そんな象徴的なセリフから始まる。小学生のころからの親友・三舟さんに想いを寄せるブンちゃん。ブンちゃんに恋をする、かつてプールで亡くなった同級生の霊・シモジ。3人の三角関係は徐々にエスカレートし、狂気じみた愛へと変貌していく。 ブンちゃんは、三舟さんがけっして振り向かないことに気づいている。その残酷さを忘れるために、職場の同僚と付き合ってみたり、三舟さんのドッペルゲンガーに会うためにグリーンランドまで行ったり、髪の毛を丸めて出家しようとしたり……。ページをめくるたびに、恋愛の生傷がじわじわと思い出される。 グリーンランドから帰国したブンちゃんを迎えにきた三舟さんの隣には、「イベントでよくうちのサークルに来てくれた」という見知らぬ男性がひとり。三舟さんが彼を見つめる親しげな視線は、ブンちゃんをさらに追い詰めていく。待たされる者はいつだって苦しさの底にいる。 エキセントリックに見えるけれど 叶わぬ恋に身を焦がすブンちゃんもまた、三舟さん以外からの視線に対してはどこまでも残酷だ。悪霊となったシモジは「僕がどれくらいブンちゃんと居たかったのか 思い知ってほしいだけ」と、三舟さんが恋する男性の体を借りてブンちゃんの前に現れる。しかし、三舟さんのことで頭がいっぱいのブンちゃんは「だからシモジが 誰に乗り移ろうとどうでもいい…」とそっけない。 シモジは呟く。 「僕が悪霊になったことも 僕が 君の 目の前で死んだことすら 心底どうでもいいくらい 三舟さんしか見えないの」 (第8話「あなたはブンちゃんの再会」) 三舟さんはずっとシモジを待っているし、ブンちゃんはずっと三舟さんを待っている。そしてシモジも、ブンちゃんを待ち続けている。片思いの残酷さと痛みがセリフの端々ににじみ出る。他者へのどろっとした嫉妬心や、恋人への独占願望など、あまり思い出したくない感情がよみがえってきた。 突然グリーンランドに旅立ったり、頭を丸めたりと、三舟さんへの想いに取り憑かれたブンちゃんの行動はとても危なっかしくて、エキセントリックなようにも見える。しかし、その暴走はうらやましくもある。 生身の言葉で、生身の体で傷つきたい 大人になって社会常識とされるものを学ぶにつれて、自分や相手を傷つけないコミュニケーションの方法もなんとなく身についた。誰かを待つ時間はアプリのマンガやSNSでいくらでも潰せる。もう真夜中にタクシーで恋人のもとへ駆けつけることもないし、別れ際にお互いを罵り合うこともない。20代の前半は失恋のたびに会社をサボっていたが、残念ながら今はそれもできない。 ブンちゃんも、三舟さんも、シモジも、けっして交じり合うことはない。ただ、誰かの感情や言葉にストレートに傷つき、堪え難い痛みを感じて生きている。 「ブンちゃん 帰る人の うしろ姿は見てはダメなんだよ」 「絵本にもかいてあったでしょ ほら そんなに苦しいでしょ」 (第1話「あなたはブンちゃんのはじまり」) 誰かの感情や言葉に鈍感になるのではなく、傷をそのまま背負って生きること。SNSで文字だけが上滑りする時代だからこそ、生身の言葉で、生身の体で傷つきたいと思うのはマゾヒズムが過ぎるだろうか。 誰かをいつまでも待ち続けたり、正面から拒絶されるたりするような体験こそが生を実感させてくれるのかもしれない。かつて大好きだった人の結婚報告をInstagramで読みながらそんなことを考えていた。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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とりとめのない記憶の愛おしさと、ひとり旅の豊かな孤独(ひうち棚『急がなくてもよいことを』 )
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 ひとり旅はだいたい何も起こらない 学生時代、長期休みのたびにひとり旅に出かけていた。と言ってもそんなに遠出をするわけでもなく、行き先は仙台、金沢、松本など、都内から在来線で4、5時間程度で行ける範囲内の小旅行だ。東京駅の三省堂で買った小説やマンガを読みながら車両に揺られて、乗り換えの駅で次の電車を待ちながら立ち食いそばを啜るのが好きだった。充電器を持ち歩く習慣がないので、だいたい目的地に着くころにはスマホの充電が切れかけている。慌ててレシートの裏に旅館の住所だけメモをして、みどりの窓口で道順を訪ねる。Googleマップが開けないので、現地で迷子になることも頻繁にあった。モラトリアムならではの、呆れるほど無駄の多い旅だったが、あの無駄こそが自分にとって何よりも尊い時間だったと今になって思う。 『急がなくてもよいことを』(ビームコミックス)は、作者のひうち棚が2009年から2021年にかけて執筆した短編をまとめた一冊だ。カメラのシャッターを切るように、作者の過去の記憶や旅行先の記憶、そして日常生活の中で目にした光景が淡々と描写されている。富山・高岡をレンタサイクルで巡って聖地巡礼をしたり(「ユートピア」)、実家の近くの川之江城に登ったり(「城山」)、山間部を走る電車の遅延に巻き込まれたり(「遠回り」)……。同行する友人や旅の途中で出会った人と、ひと言ふた言の会話を交わす以外に、大きな出来事は何も起こらない。まるで写真集のような作品だ。ページをめくるたびに立ち現れる無言のひとコマに、なぜだか心が揺さぶられる。 ただ目の前を流れていく風景を眺め、聞こえてくる音に耳を傾ける。気軽に遠出をするのが難しくなってしまった今だからこそ、その何気ない情景がたまらなく愛おしい。 ひとり旅って、たしかにこんな感じだった。だいたい何も起こらないし、誰かと運命的に出会うこともない。それでも、遠くのどこかで出会った風景は、自分と他者の境界線を鮮明に浮かび上がらせてくれる。あの無計画な旅の道中で出会った景色は、私の記憶の中にしかない。 無駄を省いた生活によって失われたもの 「フォトグラフ」という掌編では、作者が瀬戸内海に浮かぶ島へ出かけた際に目にした風景を描いている。船着場に停泊しているフェリー、髪をうしろで縛った女性のうしろ姿、坂の上から見下ろす瀬戸内海。目の前に広がる景色はどれも些細で捉えどころがない。その中に佇む作者はひと言も発さずにただ景色を目に焼きつける。けっして誰かと深く交流するわけでもないし、SNSでシェアされるわけでもない、その孤独の美しさを思う。ひとり静かに風景と対峙し、思考を巡らすことで、豊かな孤独は達成される。 旅行へ出かけることもできず、家の中にひとりでいる時間が増えたことに比例して、スマホを眺める時間も格段に増えた。わざわざ足を運ばなくても、ZoomやUber Eatsで生活に必要なすべてが部屋の中で完結できる。目的もなく遠くへ出かけるような外出は悪いものとされ、なるべく遠回りをせずに最短距離で目的地に向かうよう行動するべきだ、と私たちはこの一年間の間に刷り込まれてきた。 非効率的で無駄な移動は徹底的に排除され、代わりに他者とのコミュニケーションのための最低限のオンラインツールが私たちに与えられた。部屋の中から誰かとのシェアでつながる日々はけっして孤独ではないが、虚しくはある。 「急がなくてもよいことをあなたは急いでおりませんか」 表題作の「急がなくてもよいことを」では、妻が洗濯物を干している間に幼い娘と散歩に出かける一場面が描かれている。犬を見つけていつまでもその場を離れない娘の手を優しく引いて歩き、道端のお地蔵さんにゆっくりと手を合わせる。そして、お寺の掲示板に描かれた言葉に目を止める。 「急がなくてもよいことをあなたは急いでおりませんか」 生活においてだいたいのことは不要不急である、と言うのは少し言葉が過ぎるだろうか。しかし、必要なものと不必要なものをきっちり分類していくと、生活はどんどんすり減っていく。残るのは山積みになった労働と、労働のための束の間の休息。とりとめもない景色と出会うことのない日々の、なんと発見に乏しいことか。 ゆっくり食事を楽しむ時間や長い散歩に出かける時間を削って、「いつ仕事がなくなるかわからないから」とスケジュールの隙間をテトリスのように埋めている自分が恥ずかしくなった。急がなくてもよいことを急いでばかりいる。 広場で少年野球の練習を眺めながら、作者はまだ幼い娘にこう語りかける。 「ひーちゃん」「そんな急いで大きならんでもええからね」 すり減る生活に歯止めをかけるために 急いでいてもぼんやりしていても、時間は同じように過ぎていくし、私たちはどうでもいいことから順番に忘れていってしまう。 平日の昼間にラーメンを作って食べて、食器を洗うときの水の音。公園で遊んだあと、子供の小さな靴の中から落ちてくる砂の粒。妻との買い物の帰りの道で見つけた金柑の実。いずれ忘れてしまいそうな頼りない記憶を、本作は丁寧に掬い上げている。言葉で語らずとも、そのひとコマひとコマはたしかな人生の断片であり、日々の尊さを雄弁に物語るものだ。 作者に子どもが生まれてからは、その視線は旅先の景色よりも子どもの成長に注がれる。そこにはまた新しい発見があり、新しい出会いがあるのだろう。 すぐに遠くに出かけるのはまだ難しいから、まずはスマホの電源を落として近所を散歩することから始めたいと思う。新しく出会う風景を注視し、目的もなく出歩くことで、すり減る一方の日々に少しでも歯止めをかけたい。けっして現実から逃避するための外出ではなく、社会と接続しながら豊かな孤独を保つための外出だ。急いでやらなきゃいけないことなんて、今の私にはひとつもない。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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「男と女には恋愛しか存在しないの?」血縁や婚姻に拠らない新たな「家族」を求めて(『ちひろさん』安田弘之)
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 ちひろさんの“ゆるやかで曖昧な連帯” 主人公のちひろさんは、老夫婦が経営する弁当屋で働いている。以前は風俗店で働いていた。“ちひろ”は本名ではなく、かつての源氏名。 2018年に第1部完結を迎えた安田弘之のマンガ『ちひろさん』は、弁当屋で働くちひろさんと街の人々の交流を淡々としたタッチで描いた作品だ。 ちひろさんのもとには、家庭や仕事、友人関係などさまざまな悩みを抱えた人々が訪れる。歪んだ家庭環境に悩む高校生・オカジや母親から育児放棄のような扱いを受けている小学生・マコト、父親を半殺しにした過去を持つ青年・谷口……。 ちひろさんはそんな彼らの抱える悩みに耳を傾け、つかの間の現実逃避へと誘い、再び現実に送り出していく。 たとえば、周囲へのコンプレックスに苛まれ、怪しいビジネスに手を出している元勤務先の風俗店の後輩・すずに、ちひろさんはこう語りかける。 「いいのよ みんなに置いてかれちゃえば」 「そのくだらないマラソンに勝つ唯一の方法はね 走るのやめちゃうことなのよ それしかないの」(第27話 すずちゃん) ちひろさんの自由奔放な生き方と優しい心遣いに触れた彼らを待ち構えている現実は、変わらず苦いものだ。それでも、彼らは前を向いて人生にわずかに救いを見出していく。ちひろさんが誰かを助ける理由は「恋人だから」でも「家族だから」でもない。ただ目の前にいる人の悲しみに寄り添う。ちひろさんを中心に広がるゆるやかな連帯は、とても曖昧で繊細なものだ。 しかし、何にも縛られていないように見えるちひろさんも、たびたび「恋愛」「結婚」「家族」という強固な観念に足を絡め取られそうになる。「もったないですよ、結婚しないで」「家族がいるっていいもんなんだよ」と周囲から無遠慮でステレオタイプな言葉を投げかけられる。居酒屋で酔った男性客に絡まれ、罵声を浴びせられる場面もある。 ちひろさんの周囲を取り巻く「恋人」「夫婦」「家族」はほとんど機能していない。それらの言葉が強制するあたたかくて幸福なイメージとは裏腹に、そこからこぼれ落ちてしまった人たち、居心地の悪さを感じている人たちに本作はスポットを当てている。 「愛だの恋だのくっついたの別れたの……」ちひろさんは言う。「そんなもので心の底から満たされたことなんてなかった」。 親友にすらも認められない「お父さん」 物語の終盤、ちひろさんは恋愛や血縁や婚姻に拠らない新たな「家族」を自らの手で作ろうとする。それは名前を持たない曖昧につながっている人々との関係を、新しい名前で結び直す試みだ。それは一方で、誤解や軋轢を生むこともある。 象徴的なシーンがある。元勤務先の風俗店の店長・内海(前作『ちひろ』にも登場)と再会したちひろさんは、ひと回り年上の彼と水族館へデートに出かける。そこで彼女は内海に「店長、あたしのお父さんになってよ」と提案するのだ。 「“お父さん“ってどんな人のことかって?」。ちひろさん曰く 「一緒にいて楽しい人 信頼できる人 尊敬できる人 いざという時私の味方でいてくれる人 私のことが大好きな人(中略)なのに身体を求めてこない男」(第44話 図々しい願い) 内海は困惑し、「最後のそれだけは保証できねぇぞ」と言いながら、その提案を受け入れる。実の両親とはすでに疎遠になっているちひろさんは、自らの行動と選択によって、ゆるやかで理想的な連帯をもって、新しい「家族(に似た何か)」を築いていく。 しかし、ちひろさんが自ら名づけた「お父さん」は、周囲の人々には認められない。内海に密かに思いを寄せていた親友からは「好きなんでしょ、結局!」と激しく詰め寄られる。失意の中でちひろさんは訴える 「男と女には恋愛しか存在しないの? 好きって相手を独占することだけなの?」(第46話 飼えない女) 「家族」「恋人」は自明のものなのか? 家族でも恋人でも夫婦でもない、曖昧で繊細な関係性の尊さを本作は描いている。その枠組みからこぼれ落ちてしまう人々と1対1で秘密を共有し、新しい関係を結び直すこと───。 男女だからといって必ずしも恋愛でつながる必要はないし、血縁があるからといって家族である必要もない。私たちの人間関係はもともと均質なものではなく、淡い色から鮮やかな色まで豊かに広がるグラデーションがあるはずだ。 コロナ禍の社会で「家族・同居人」と「それ以外の人」はハッキリと断絶されてしまった。もちろん仕方のないことだとは思うけれど、それだけで割り切れない違和感も少しある。「家族」や「同居人」という単位がまるで自明のもののように扱われていることへの違和感が。 私たちは複雑で曖昧な人間関係の中で生きている。夫婦ではないけれどお互いを深く信頼し合える人、友達ではないけれど心のどこかで常に気にかけている人、家族ではないけれど心の底で深くつながっている人。そこにはもしかすると誰にも理解されない関係性も含まれるのかもしれない。 「裏があって表がある 表があって裏がある 両方のカオがあって ヒトって真っ直ぐ走れると思うわけですよ」(第24話 デキた嫁) 曖昧な関係性だから言えることがあるし、その曖昧さに救われることがある。表も裏もあっての人間だから、連帯の結び方も人の数だけ存在する。ちひろさんはきっとその曖昧さの中心にいるからこそ、ただ目の前の人をまっすぐに愛することができるのだろう。 古い物差しで人間関係を均質化しようとする社会の圧力に抗うことで、私たちはもっと豊かな名前でつながることができる。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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山﨑玲奈(Daily logirl #156)
山﨑玲奈(やまさき・れな)2007年1月28日生まれ。愛媛県出身 X:@RenaYamasaki Instagram:renayamasaki07 主演ミュージカル『ピーター・パン』7月24日より上演 撮影=石垣星児 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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石田莉子(Daily logirl #155)
石田莉子(いしだ・りこ)2006年3月28日生まれ。千葉県出身 X:@dariko_official Instagram:rk_io0328 撮影=石垣星児 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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西川実花(Daily logirl #154)
西川実花(にしかわ・みか)2008年10月3日生まれ。東京都出身 X:@mika_nishikawa_ Instagram:mika_nishikawa_ 撮影=大靏 円 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
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K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学”
古家正亨(ふるや・まさゆき) 1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。ラジオDJ、テレビVJ、韓国大衆文化ジャーナリスト。年間200本以上の韓国アーティスト・俳優イベントのMCを務める。NHK R1『古家正亨のPOP★A』、ニッポン放送『古家正亨 K TRACKS』、テレビ愛知『古家正亨の韓流クラス』などのレギュラー番組でも活躍中 K-POPが好きな人なら、一度は「古家正亨」の名を耳にしたことがあるだろう。数々の韓国アーティスト・俳優による来日イベントなどでMCを務める古家は、ラジオDJそしてジャーナリストとして、長年、韓国大衆文化と併走してきた。 今回は、そのたしかな知識とカルチャーへのリスペクトを感じさせるトークで、ファンそしてスターたちからも厚い信頼を集める彼の職業観を聞いた。 現地での実体験でしか得られないものがある 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 ──2024年4月に新著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA)を刊行されました。本書ではK-POPの最新シーンはもちろんのこと、韓国芸能が国外へ受容されるまでの道のりもわかりやすく綴られていますが、なぜこうした内容を発信したいと思ったのですか。 古家正亨(以下、古家) まず、僕の中では日本におけるK-POPの展開って、KARAや少女時代が日本に進出した2010年前後である程度広がりきったと思っているんですね。逆にいうとそこまでのプロセスが大事で、それ以降はひとつのムーブメントとして定着していったといえる。 その一方、最近のK-POPシーンについては多くの方がご存じですし、記録としてもいろんなかたちで残っているけれど、当時の細かい事象についてはあまり知られていないように感じるんです。 ──“細かい事象”というと、どのようなものが挙げられますか? 古家 たとえばCDショップのK-POPコーナーに行くと、アルバムパッケージの形がすごく多様だと気づかされます。正方形のスタンダードな形態だけでなく、すごく大きいものや細長いもの、本型もあれば箱型もある。 なぜこうなったのかという背景にはさまざまな要因がありますが、よくいわれているのは「韓国では芸能事務所が作品プロデュースを徹底していて、アルバムのデザインワークにもこだわっているから」ということですよね。 でも僕の目には、別の理由もあるように映っているわけです。というのも、CDの売り上げが下降していった時期に、韓国ではCDケースのメーカーが次々に倒産してしまい、国内生産が難しくなっていたんです。そこで仕方なく、代わりにDVDのパッケージが使われ始めたんです。 それ以降、CDの形態が画一ではなく、いろいろなものが出始めて、見た目の自由度も増していった……というのがそもそもの経緯なんですね。 ──そんな事情があったんですね! 古家 もともと僕は大学卒業後にカナダへ留学して、そのときに韓国人留学生の友人から聴かせてもらったK-POPがきっかけで韓国の音楽に傾倒していったんです。 ラジオDJとして活動しながら「自分の好きな韓国の音楽についてもっとみんなに知ってもらいたい!」と流行歌を紹介したりしていたわけですが、今とは違って当時はインターネットも普及しておらず、現地のトレンドを把握するのがすごく大変だった。なので自ら韓国のCDショップへ足を運んで、音源をチェックするしかなかったんです。 その時代の日本は、ほかのアジア諸国を軽視するような風潮がありましたし、韓国カルチャーの発信に積極的なメディアも少なかったので、僕の活動を認めてくれる人も少なかったですし、渡韓費用もCD代もすべて自腹でした。 そんな時代、韓国のCDショップへ行くたびに、個性的な形のCDが少しずつ増えていき、知らず知らずに(ショップ内で)やたら足を(CDに)ぶつけるようになっていったわけです(笑)。 さらに時が経つと、今度は三角形のアルバムパッケージなんかも登場して(miss Aの『Bad But Good』)。日本ではそんなケースが少なかったので「なぜだろう?」と思い、関係者に聞いてみると、先ほどお話ししたことがわかったんです。 miss A『Bad But Good』 ……話が少し長くなってしまいましたが、あるムーブメントを捉えるにおいて、実体験を通じて新鮮に感じたことや疑問に思ったことを調べる、ということの繰り返しでしか見えてこないことってあるんですよね。なのでそういう経験を通じて、この目で見てきた“細かい事象”を伝えたいという気持ちがあるんです。 ──どこにいながらも世界中の最新曲がチェックでき、現地メディアのレポートが即日多言語でアップされるようになって久しい今も、その考えに変化はありませんか? 古家 そうですね。昔は「若者の間で流行っている音楽を知るには、明洞(ソウルの繁華街)を歩け」といわれていましたが、最近は好みや音楽ジャンルが多様化して、そうはいかなくなりました。 ソウルの若者の遊び場も、かつては一極集中だったのが、今ではいろいろなところに広がっています。それぞれの場所で流れている音楽も、たとえば芸術系大学エリアの弘大はインディーズミュージックの中心地ですし、名門大学エリアの梨大や新村では日本のシティポップが流れていたりする。 日本で「韓国の音楽」といえばアイドルが中心ですけど、韓国本国では2010年以降音楽の多様化が一気に進み、さまざまなジャンルのアーティストが音楽界で支持されています。 日本でヒットチャートだけを見ていては「アイドルが流行っている」という情報しか得られず、わかったような気になってしまうので、現地の実情を理解するには、ネットでなんでも調べられる今だからこそフィールドワークが大切だと思うんです。きっと大学院でジャーナリズムを専攻していたこともあり、その思いが強いのかもしれません。 MCで大事なのは「透明な存在になること」と「入念なリサーチ」 古家正亨 ──古家さんはK-POPのイベントMCを数多く務められていますが、それぞれのアーティストに関する知識の深さにファンから驚きの声が上がることもよくあります。その根本にはジャーナリズムの精神があったのですね。 古家 大学で専攻していた臨床心理学によって培われたものも大きいと思います。心理学って要は、“人の心”を数値化する学問じゃないですか。見えないものを“見える化”する作業は、今僕がMCやラジオDJをするにあたって、非常に役立っているんです。 それから、当時の恩師から教えていただいた「カウンセラーは自ら答えを提供するのではなく、あくまで困っている人の話を聞き、気づきを与える職業」という言葉に大きな影響を受けました。「真の話し上手は、最高の聞き上手である」という先輩からのアドバイスも、今の僕の成長の糧になりました。 ですから今の仕事をするなかで常に念頭に置いているのは、できるだけ“透明な存在”になって、主人公のスターとファンをつなぐパイプ役に徹したいということ。必要なタイミングにだけ、なるべく短い言葉を発することでスターとファンとの橋渡しができたらというのが、仕事をするにあたっての哲学です。 ただ、その「必要なタイミング」というのはいつやってくるかわからないので、どんな状況にも対応できるように、やはり事前の入念なリサーチが重要になるわけです。 ──逆にいうと、どれだけリサーチしても「必要なタイミング」が来ない限りは、せっかく準備した情報の出番はないということですよね。 古家 そうです! 昔、マラソンの実況をやっていた先輩から「ランナー全員のバックグラウンドや趣味まで調べ上げても、それが少しも役に立たないことが多い。それでも1000リサーチしたうち1や2が活かされるときのため、我々は準備している」という話を聞いて、すごく感動したんです。 だから常にスターの動向をチェックして、現地の記事を読んで、時にはファンのSNSを見て……。家族には「いつもネットばかり見て、楽しそう」と思われていますけど(笑)。 ──本当に大変なお仕事だということがわかります……。 古家 最近は年間200本ほどイベントに出演しているのですが、その中で「今日は満足できた」と思えるイベントって、正直10本あるかないかなんです。 MCという立場上、自分がどれだけ準備をしても、すべてをコントロールできるわけではないし、韓国と日本という文化や習慣が違う、異なる民族の者が混在する現場が多いので、価値観や目的にもズレが生じるわけです。 とはいえ、表に立って進行しているのはMCですから、もしもイベントがイマイチだったときは僕の責任になってしまうんです。 たまに「なりたい職業は古家さんです」と言っていただくことがあるんですけど、はっきりいってオススメできません。想像できないかもしれませんが、心労は計り知れません。 韓国カルチャーの「スポットが当てられていない部分」も伝えたい ──とはいえそんな古家さんだからこそできる仕事、伝えられることが多いぶん、活動のフィールドを広げていらっしゃるのだと思います。今後新たに挑戦したいことってありますか? 古家 たくさんあります。たまに「古家さん主催のフェスをやってほしい」と言われるので、いつか実現できればと思っています。ただ、K-POPアイドルのフェスにしてしまうと、どうしてもお金が莫大にかかってしまいますし、すでに多くのイベントが日本で行われているので、僕がする意味はもはやないと思います。 自分のキャリアの原点って、もともと韓国のインディーズ音楽を聴いてハマったということもありますし、あまり日本では知られていなくても、実力のあるアーティストを呼ぶというかたちでなら可能かもしれません。 それと、昔からずっとやりたいと思っているのは、韓国音楽についてのドキュメンタリー制作です。取り上げたいテーマはいろいろあって、1970~80年代に日韓の音楽交流の架け橋として尽力してきた歌謡界の重鎮の半生だったり、日本における韓国エンタメの定着の過程だったり……。K-POPが日本でここまで受容されるようになった背景については、もっと掘り下げられるべきだと思うんです。 今でこそ注目されるようになった韓国カルチャーですが、スポットライトが当てられているのはまだまだほんの一部なので、それ以外のところを“古家目線”で記録として残したい、というのが僕の希望ですね。 文=菅原史稀 編集=高橋千里 INFORMATION 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA) 著者:古家正亨 定価:1,600円(税別) 古家正亨が韓国カルチャーの過去・今・未来を、ラジオ番組仕立てで届ける https://www.kadokawa.co.jp/product/322111001104/
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春アニメを遡り考える“アニメのこれから” ──DJ・KO KIMURA×アニメ評論家・藤津亮太
KO KIMURA 木村コウ(きむら・こう) 国内ダンスミュージック・シーンのトップDJ。クラブ創成期から現在までシーンをリードし、ナイトクラブでの活動のみならず、さまざまなアーティストのプロデュース、リミックス、J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』(毎月第1金曜日27:00〜29:00)にてラジオDJとしてなど、国内外で活躍中。 藤津亮太(ふじつ・りょうた) アニメ評論家。地方紙記者、週刊誌編集を経てフリーのライターとなる。主な著書として『「アニメ評論家」宣言』(2003年/扶桑社、2022年/ちくま文庫)、『アニメと戦争』(2021年/日本評論社)、『アニメの輪郭』(2021年/青土社)などを出版。 昨年11月に実現したアニメ好きで知られるDJ・KO KIMURAとアニメ評論家・藤津亮太の対談。今回は、春アニメをテーマにふたりのアニメ対談第2弾を敢行した。人気作『鬼滅の刃』や『僕のヒーローアカデミア』の続編をはじめ、『忘却バッテリー』や『怪獣8号』など話題作が盛りだくさんの今期。過去〜現代の春アニメ作品を比較しながら、トレンドやアニメ業界の変化などについて語ってもらった。 目次“春アニメ”で思い出すあの作品過去〜現在でよくできたアニソンとは?春アニメから見る業界のこれから “春アニメ”で思い出すあの作品 ──アニメ対談第2弾ということで、今回はビッグタイトルが並ぶ春アニメについてです。毎年、春アニメはどこも気合いが入っているようですが、20年前、10年前、現在放送の春アニメを比較しながらお話を伺えたらと思い、2004年、2014年、2024年の春アニメ作品リストを持ってきました。 藤津 2004年の春アニメもそこそこ数がありますが、『アニメ産業レポート』(日本動画協会)によると、2004年は年間放送されたアニメが203本ぐらいあったんです。2022年の段階でテレビアニメは年300本を超えているので、2004年は現在の3分の2ぐらいだったころで。 木村 今は毎クール50番組を超えていますから、もう全部をチェックするのは不可能に近いですよね。こう見てみると、昔は一般には広く流行らなくても、アニメシーンの中では話題になる作品が多かった気がしますかね。 藤津 2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送があるんですけど、そのあとからラノベ(※ライトノベル)のアニメ化がまた増えるんですよね。1990年代以来ですね。2004年はその直前なんで、意外とラノベアニメは少ないかなって。 木村 マンガ原作が多いからか、全部が似たような作品にならない時代でしたよね。 藤津 今だと異世界転生モノがたくさんあるので(笑)。ベースが似ている──たとえると、でき上がっているラーメンは別ものなんだけど、基本の出汁は同じみたいなところがありますよね。個人的に春アニメの記憶をたどると、『機動戦士ガンダム』(1979年)がすぐ浮かびますね。 木村 ガンダムは春の放送だったんですね。 藤津 そうなんです。4月7日放送開始で。小学校高学年ぐらいのときで、事細かに春の記憶と結びついているわけではないんですけど。そのあと『機動戦士Ζガンダム』が1985年3月放送開始で、高校2年生になった4月に、友達と登校中に会って「(Zガンダム)どうよ?」という話をしたのを覚えています。 木村 『Ζガンダム』になって、だいぶストーリーが暗くなりましたよね。富野由悠季監督のネガティブなところがいっぱい出ている気がしました。 藤津 重苦しい感じがありましたよね。キャラクターを追い詰めていくところがある作品ですからね。 木村 10年おきに見てみると、異世界転生モノのような今っぽいアニメはまだないですね。2004年は『忘却の旋律』でLiSAさんの歌(OPテーマ「Will」)を思い出しました。あと、『頭文字D Fourth Stage』はCGが少しよくなっている時代ですね。 藤津 『頭文字D』は2023年秋に『MFゴースト』(※『頭文字D』と同じ世界の近未来が舞台という設定)をやっていて、今年もシーズン2をやると言っているし。『ケロロ軍曹』や『キン肉マン』は今年新シリーズ発表をしていて、2004年を見ていると、意外と20年後の今と重なるものがあっておもしろいです。 木村 20年経っても観ている方はけっこういそうですよね。あと、アニメファン初期の人たちも多く見ていそうです。ちょうど『風の谷のナウシカ』(1984年)で映画館に並んでいたような人たちなのかな。 藤津 『風の谷のナウシカ』も春の映画でしたね。ちょうど中学3年から高校に上がる春休みの公開だったので、映画館に観に行きましたね。約束もしてないのに友達も観に来ていて、映画館でばったり隣り合わせるみたいな(笑)。 木村 「やっぱり来るよね!」って言ってね(笑)。90年代になると今でいう深夜アニメ的なものはOVAになっていったじゃないですか。だんだん夕方6時のアニメもなくなってしまうし。自分が子供のころ、ジャンプアニメは19時からやっているみたいな。それが今になると夕方はニュースばっかりで。あと土曜と日曜の朝にやるアニメが増えましたよね。 藤津 結局はアニメそのものの視聴率が90年代の終わりごろからジリ貧の状態だったんです。その結果として、たとえば『ONE PIECE』(1999年〜)がゴールデンタイム放送じゃなくなるのが2006年で、『名探偵コナン』(1996年〜)もずっと月曜19時台でやっていたのが、2009年以降は土曜夕方枠に移っていて。そんなふうに、ちょっとずつ視聴率的にゴールデンタイムからアニメ枠が押し出されていって、逆に深夜にアニメ枠が増えていくことになった感じですね。 木村 なるほど。『交響詩篇エウレカセブン』(2005〜2006年)は朝7時とかにやっていて、京田知己監督や脚本家の佐藤大さんが「ナイトクラブで踊ったあとに見てもらいたい」と言っていたんですよ。そういう狙いもあるのかなって。僕もそのころは『マリア様がみてる』(2004年)を観るために、DJ終わったあとすぐ帰っていたから。最近は日曜朝のアニメって、大人向けのものが少なくなってきましたよね。 藤津 かっちり棲み分けされていますよね。土日の朝は、玩具やカードがセットになっている番組が中心で。 木村 たしかに多いですね。カードバトルものとかね。僕は朝6〜7時ぐらいまでDJをしていたりするので、日曜の朝に好きなアニメを観られるのは、DJ中もテンションが上がっちゃって。あと、土曜朝の『家庭教師ヒットマンREBORN!』(2006年)とかも好きでした。 過去〜現在でよくできたアニソンとは? ──その時代のトレンドはあるのでしょうか? 木村 2004年はやっぱりマンガ原作が多かったですよね。『GANTZ』(2004年)はアニメを観るときに少しフレッシュさがなくなってしまうから、原作は読まないようにした思い出があります。 藤津 あと、現代は “なろう系”(※小説投稿サイト『小説家になろう』発の原作の作品)という言葉に代表される、WEB投稿発の小説が企画のスタート地点のものがめちゃくちゃ多くなっているので、そこが一番違うところですよね。 木村 『サムライチャンプルー』も2004年春なんですね。少しサブカルっぽい雰囲気が伝わってきていて、アニメでヒップホップの音楽が流れることはなかったから。 藤津 そういう意味では『サムライチャンプルー』は、かなり目立っていましたよね。 木村 そういえば当時は野球中継があると、最終回までテレビでやらないとかありましたよね。 藤津 ありましたね(笑)。『GAD GUARD』(2003年)も地上波放送が途中で終わってて。そのあたりは、アニメ制作会社は局と連携があまりよくなくて、過渡期といえば過渡期だったんですよね。深夜アニメが始まって10年弱ぐらいで、改めてアニメに力を入れようとなったけれど、その体制が2004年はまだ固まりきってないんですよ。 木村 そうなんですね。『GAD GUARD』とかも「え、これどうなるの?」で終わっているから。今だと次のクールの最終話の持ち越しとかありますから。最終話を見るために、OVAを買ったり、レンタルしたりしなきゃいけなくなるという。 藤津 あとBSだけで全部やります、みたいなケースもありますからね。 木村 なかなか懐かしいですね。『サムライチャンプルー』も最後あれ?ってなりました(笑)。『GAD GUARD』はカッコよかったですよね。 藤津 ちょっとトガったビジュアルセンスのある作品だったので。 木村 最近は“なろう系”ばっかりで……。 藤津 すごく量が多いですからね。あと、2004年春の作品リストを見ると『DANDOH!!』があるんですよ。ということは、2004年も今年も両方ともゴルフアニメが入っています。そもそもゴルフアニメなんて、めちゃくちゃ少ないのに。両方にあるのはすごいなと(笑)。今年放送の『オーイ! とんぼ』は、ゴルフ雑誌『週刊ゴルフダイジェスト』(ゴルフダイジェスト社)の長期連載マンガですね。 木村 10年周期でゴルフアニメが出てくるのかもですね(笑)。ゴルフアニメはおもしろいですけど、数が少ないからいいのかもしれないですね。サッカーとか野球とか多いから、そうすると、どれか埋もれちゃう。 藤津 ただゴルフというスポーツの欠点は1試合が長いということですね(笑)。省略しすぎるとゴルフらしさが減っちゃうし、そこが実際にアニメで描くときには難しいところだなと思いますね。マンガだと延々とできるんですが、アニメだと区切りのいいところで収めないといけないから。 木村 箱根を自転車でずっと走っている『弱虫ペダル』(2013年〜)も同じですよね。 藤津 あれも走り出すと長いですからね。 木村 1クール全部、箱根を走っているみたいな。バスケットボールとか野球は、春や夏の甲子園とかね、終わらすタイミングがありますけど。 ──こう並べて見てみても、記憶に新しい作品が多いですよね。 木村 え、『ハイキュー!!』は2014年!? 藤津 そうなんですよ。テレビで第3期までやって、今年は映画です。映画『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』(2024年2月)は、すでに興行収入100億円と勢いがすごいんです。今は人気が出ると、作品寿命がかなり長くなるんですよね。『ラブライブ!』も最初のシリーズの第2期が2014年ですけど、シリーズは今も継続中ですからね。今度NHKで一番新しいシリーズをやるし。さらにほかのシリーズも展開しますと予告しているし。 木村 『ラブライブ!』といえば、作中に出てくる“穂むら”(※神田にある和菓子屋“竹むら”)。僕は90年代からずっと甘味好きなのもあって通っていたんですが、『ラブライブ!』人気でやばいことになっていて。作品ファンらしき人たちがグワーって並んでいて、当時全然行けなくなってしまって。店内での撮影もダメになり、アニメって影響力は強いんだなって(笑)。もちろん僕も、『らき☆すた』(2007年)の聖地巡礼もしていましたけど。みんなが聖地巡礼をやり出したのは、どのあたりなんですかね? 藤津 どこで線を引くか難しいんですけれど、もとから映画のロケ地探訪というのがファンの中ではあったんですよね。70年代〜80年代前後だと『ベルサイユのばら』ファンがフランス旅行へ行くというのもあったりして。当時はまだ聖地巡礼という名前がついていたわけではなかったけれど、アニメの舞台を訪れるという意識は昔からあったんです。“聖地巡礼”といわれたり、新聞記事になるようになったりしたのが、『おねがい☆ティーチャー』(2002年)あたりからだと思います。作中に長野県・木崎湖が出てくるんですけど、木崎湖に年1回ファンが集まるみたいなことが自然発生的に起きるようになって。それがさらに大きく話題になったのは『らき☆すた』ですよね。そのあと、さらに『ガールズ&パンツァー』(2012年)で茨城県・大洗町がフィーチャーされた感じです。ほかにもいっぱいあるけど、節目でいうとそこですかね。 木村 なるほど。今期の『変人のサラダボウル』は岐阜県を舞台にしていて、僕が岐阜県出身なのでうれしくなって。その土地と組んでアニメを作ることも増えましたよね。 藤津 フィルム・コミッションにロケ地を挙げてもらったりしているみたいですね。『となりの妖怪さん』(2024年)は静岡県西部の山のほうが舞台になっているのと、『ゆるキャン△ SEASON3』(2024年)は原作どおり、このあと静岡の山間地も登場する流れです。僕は静岡県出身なので、いろいろな地名が出てくると懐かしいなと思って観ています。 木村 実際に行ってアニメの場所が現実世界でそこにあるとうれしいですよね。僕も、長崎や函館に行ったときは、仕事ついでに1日余分に取って聖地を訪れています。 藤津 長崎に住んでいる知り合いの方が、長崎舞台のアニメはいくつかあるけれど、逆に住んでいるぶんだけ楽しみにくいみたいなことを言っていて。現地のリアルな情報があるから、「こういう感じじゃないんだけどな……」と気になってしょうがないと。素直に作品を観られなくなっちゃうらしくて。そういう、実際に住んでいるからこその感想はちょっとおもしろいなと思いました。 木村 アニメを観た人に来られても困る場所とかありますもんね。 藤津 舞台にはしたけど、私有地だから「入ってはいけないですよ」みたいな場所だったり。 ──地元が盛り上がるのはうれしいですが、難しい問題もありますよね。ほか、気になる作品はありますか? 藤津 『シドニアの騎士』(2014年)は、ひとつ分岐点っぽい作品で。国内で地上波放送をする前に、当時はまだ日本でサービスインしていなかったNetflixで先にかけたので、海外のほうが先に見られる作品だったんです。そのあと2015年に日本でNetflixのサービスがスタートしたんです。『シドニアの騎士』は日本のアニメが配信を舞台に海外で戦えているよ、というごく初期の例で。そういう意味で興味深い作品です。今は配信サービスがめちゃめちゃありますけど、10年前はまだ黎明期だったよなって。 木村 配信で最新のものを観たいけど、いずれ人気なのはテレビでやるだろうって思いながら。同じ業界の知り合いのTOWA TEIさんが音楽を手がける『スーパー・クルックス』(2021年)を観ようかなって思ったけど、テレビだけでも追われているのに、Netflixまで追い出すと大変。 ──同じ業界の人、知り合いの方が関わっている作品は気になりますよね。 木村 『BANANA FISH』(2018年)は気になって観たんですけど、結局音楽ばかり気になって、作品のほうに入っていけなくなったり。そういうのもおもしろいんですけどね。音楽でいえば、僕はアニソンはやっぱり、アニソンらしいほうが好きで。最近だと、YOASOBIさんとかはうまく作品にリンクしていますよね。 藤津 この間『AnimeJapan 2024』で、YOASOBIのレーベルプロデューサーに公開取材をするイベントがあったんです。そのときおっしゃっていたのが、YOASOBIは小説を歌にするユニットなので、どのアニメタイアップも小説を必ず書いてもらうんですって。最初にやった『BEASTARS』(2019年)も原作の板垣巴留先生に「書いてみてください」と言って書いてもらったみたいです。小説を書いてもらって、そこから世界観を抽出しているので、作品とのマッチ具合がいいんでしょうね。 木村 そのやり方を崩してないのは合ってる気がしますね。あと、ボカロPっぽい感じの曲の作り方も。 藤津 アニメのオープニングは89秒ですから、その中に詰め込む力がないと物足りなくなってしまいますからね。 ──アニメタイアップ曲は印象に残りますし、何年経っても色褪せないというか。数十年経って聴いてもいい曲が多いですよね。 藤津 2014年の『ピンポン』は、牛尾憲輔(うしお・けんすけ/作曲家)さんが初めてアニメの劇版をやった作品で。牛尾さんはもともとアニメ好きで知られている方ですが、当時は依頼が来たことにテンションが上がって、監督などと打ち合わせをする前に、まず曲を書いて渡してたっておっしゃってました。 木村 『ピンポン』の音楽も作品に合っていましたよね。子供のころは直球アニソンが多かったけど、『サムライチャンプルー』とか、2000年代から全然違う曲調が増えてきたなという印象ですね。そのころから、海外のDJでもリクエストが増えてきて、海外でもアニメが流行っているなって。 藤津 2005〜2006年に北米で日本のアニメのDVDが売れているんですよね。ただ当時は、DVDベースなので、ローカライズして輸出することができる作品は限られていた。向こうのファンも渇望しているというか、飢えている度合いが高かったんです。それがYouTubeのサービスが始まったあたりから海賊版が大量に発生して、DVDが売れなくなり、さらにリーマンショックもあって、その影響で日本のアニメ産業がシュリンクする時期があるんですよ。なので、作られているテレビアニメのタイトル数は、今お話しした海賊版やリーマンショックの影響で2010年で少し減っているんです。その後、徐々に持ち直していくのですが。そして2015年ごろから配信サービスの普及で当たり前になって、今やほぼタイムラグなしで日本のアニメが観られるようになっているんですよね。それによって業界も売り上げが増えていますし。 木村 アニメファンはおもしろい作品には課金してみようかな、というマインドがありますよね。DVDも自分用、友達への布教用、あとは保管用で買ったりして。 春アニメから見る業界のこれから ──今期の春アニメについてはどうでしょうか? 全体的には“なろう系”からの作品が多いですが。 藤津 『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』は「つむぎ秋田アニメLab」という秋田のアニメスタジオが作っているんです。同社は、少人数で作るための体制やワークフローを整えて、同作を作っているそうです。東京だとスタッフが足りないという話も多いですが、そういった状況に対するカウンターですね。時代の先端のやり方だと思いました。興味深いです。作品自体も気軽に楽しめる魅力があります。木村さんは、何か気になるアニメありますか? 木村 とりあえずこれまでの続きの2〜3期ものは押さえつつ、『転生貴族、鑑定スキルで成り上がる』、『LV2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』、『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』、『Unnamed Memory』、『Re:Monster』、『魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?』、『WIND BREAKER』、『喧嘩独学』、『となりの妖怪さん』はおもしろいですね。『変人のサラダボウル』、『忘却バッテリー』とかも。 藤津 『忘却バッテリー』は、おもしろいほうの宮野真守さんを堪能できる作品ですよね。 木村 あと、僕はまだCGアニメ系についていけてなくて……。 藤津 ああ、そうですか。実は今期だと『ガールズバンドクライ』は、イラストレーターさんの絵を3DCGで動かすという、変わったアプローチをしていて。視聴者や業界が「どうやっているの?」って思うであろう、すごく攻めたルックで、独特の雰囲気を持っています。あれは3DCGのインパクトがある作品です。 木村 あと僕は昭和世代なので『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』も気になります。再構築じゃないですけど、ちょっとは新しく、変わっているんですか? 藤津 『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013年/※リメイク版シリーズ)からの続きですね。旧シリーズの『新たなる旅立ち』に相当する位置づけの作品ですね。『2199』以降のリメイクシリーズは、科学的なアイデアやミリタリー的な要素も大幅にアップデートされていて、旧作よりもリアリティは増しています。だから旧作を知っている世代は「そうきたか」とおもしろがれると思います。 木村 そういう話を聞くと、おもしろさが増しますよね。前からそういうことを指摘する人っていたじゃないですか、「こんなことできないよ」って。 藤津 『怪獣8号』はご覧になられました? 木村 観てます! これからおもしろくなっていきますね。 藤津 ギャグシーンも含めて、このあとも緩急含めていい感じに仕上がっていますよね。 ──さすがジャンプ作品ですね。5月からは『「鬼滅の刃」柱稽古編』や『僕のヒーローアカデミア 第7期』などビッグタイトルのシリーズが始まります。2期、3期と続くのは定番化されているのでしょうか? 藤津 確認したことはないんですけど、配信になると、今観た作品の続きが“おすすめ”の欄に出てくるじゃないですか。そうなると、“おかわり”がしやすいんですよね。ヒットしたら続きを作ったほうが、配信サービスにも売りやすいのかなって想像しています。配信って、新しい作品を観るのもいいけど、続きがあるならとりあえず続きを観てみるか、となりやすいサービスなので。そういう意味で、ここ10年、シリーズものが増えているのかなと。 木村 自分的には、間に半年とか空くと忘れてしまうので続けて放送してほしいんですけど(笑)。あと気になるのは『じいさんばあさん若返る』。 藤津 『じいさんばあさん若返る』は、たわいのない話なんですけど、三木眞一郎さんがおじいさんをやっていて。『アストロノオト』に出てくるおじいさんも三木さんなんですよ。三木さんがおじいちゃんをやるようになるんだ……といろいろ思いましたね。 木村 やっぱりおじいちゃんキャラがうまいんですね。『終末トレインどこへいく?』も観てますが、本当に「どこへ行く?」というストーリーで(笑)。 藤津 本当にそう! どうなるんだろうなって。おもしろいより先に不思議、という感想になりますね。これを観ていると、自分はどんな気持ちになるのか予想がつかないです(笑)。 木村 おもしろくなるのかどうなるのか。不思議な感じですよね。『ダンジョン飯』もちゃんと続いていますよね。ご飯のお話で、ストーリー持つのかな?と思っていましたけど、第2期になって、ご飯の話じゃなくなってきて。 藤津 アニメは最初すごく飯推しで宣伝していたのでね(笑)。原作の九井諒子さんは短編のうまい方で、長編をどう描くのだろうと?と思っていたら、飯推しから始まって、だんだんハードなファンタジーになっていって、さすがだなと。そういう意味ではアニメも安心できるなと。 木村 ちゃんとダンジョンのお話になっていきましたよね。 藤津 あと、『転生したらスライムだった件』は第3期で、これが終わると1期から数えて70話を超えることになります。かなり長いシリーズになっていて、話数的に昔のOVA『銀河英雄伝説』(本伝全110話)に近づいてきてるんです。これは実はなかなかすごいことだと思います。 木村 『転スラ』は会議のシーン多いし、キャラも多い。キャラも一つひとつ立っているからいいですね。 藤津 時々ちゃんとバトルもありますからね。 木村 魔法のバトルなり、剣のバトルなり、戦闘機のバトルなり──やっぱりアニメにバトルシーンを取り入れると、それで人気が出るのはあるんですかね? 子供のころのアニメとかはそういうので話題になっていたから。今の時代もそうなのかなって。 藤津 やっぱり華になるシーンですし、SNSで戦闘がカッコよかったって、動画を上げる人もいますからね。目を引くし、人を呼び込む力はありますよね。 ──今期のアニメで、おふたりがアニメ好きに限らず、ライト層にもおすすめするならどの作品ですか? 木村 『怪獣8号』や『戦隊大失格』は見やすいかなと思います。『ダンジョン飯』も見やすいかな。異世界転生モノは、もう少しアニメに慣れてからかな。 藤津 『転スラ』は3期ですしね。やっぱり『怪獣8号』はおすすめしやすいですね。バトルもクスッと笑えるところもありますから。あと、深夜にゆったりとした気持ちで観るなら『となりの妖怪さん』。田舎暮らし的なお話なので。 ──ここまで春アニメを振り返ってみましたけど、今後のアニメ全体はどんなシーンになりますかね? 木村 異世界転生モノはもう原作がなくなってきたんじゃないですか? そのジャンルが今後どうなるのかは心配になってきています。 藤津 少しでも人気があるやつはすぐアニメ化されていますからね。あとは改編期が配信ベースになると、どうなっていくのかなって。配信だけだと広がりが出ないとわかっているので、テレビアニメがなくなることはないと思うんですけど。テレビと配信のどっちが主になるのか。テレビ局もアニメにもっとコミットして放送外収入を得ましょう、という流れもあって。ここからテレビ局とアニメ業界の綱引きで、どういう未来を目指すかということが将来のテレビアニメ、春アニメに関わってくるのかなと。 木村 見逃したアニメを観るために、Netflix、Hulu、dアニメストアに加入しているんですけど、減らしてもいいのかなって(笑)。 藤津 dアニメは新作アニメリストがあるから便利ですよね。HuluはDisney+がセットになりましたしね。 木村 これ以上観ないといけないアニメの数が増えると困っちゃいますね(笑)。 撮影=Jumpei Yamada 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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金田 昇(BOY meets logirl #042)
金田 昇(かねた・しょう)2000年1月9日生まれ。北海道出身 Instagram:sho_kaneta_ X:@Sho_Kaneta 新番組『ウルトラマンアーク』7月6日(土)朝9時スタート(テレ東系列6局ネットほか)石堂シュウ役 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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橋本祥平(BOY meets logirl #041)
橋本祥平(はしもと・しょうへい)1993年12月31日生まれ。神奈川県出身 X:@hashimotoshohey 主演舞台『「野球」飛行機雲のホームラン ~ Homerun of Contrail』(2024年6月22日~6月30日公演) 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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伊藤あさひ(BOY meets logirl #040)
伊藤あさひ(いとう・あさひ)2000年1月19日生まれ。東京都出身 Instagram:asahi_ito_official X:@asahi_ito_0119 ドラマ『絶対BLになる世界VS絶対BLになりたくない男 2024』(Lemino/独占配信中)菊池役で出演 ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(5月16日〜新国立劇場 中劇場にて)マーキューシオ役で出演 撮影=大嶋千尋 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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コントシーンで注目を集めるトリオ・破壊ありがとうのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(後編)
東京のコントシーンで、今最も注目されている若手のひと組が「破壊ありがとう」だ。大学時代に結成してまだ3年。2024年4月にフリーながらプロとしての活動をスタートさせたが、すでに単独ライブを打てば、お笑い好きがこぞって集まる人気のトリオだ。 このインタビューでは、彼らが作るコントの独自性の秘密に迫る。リアルでありながら発想が飛躍していき、観る者を一瞬たりとも飽きさせないのは、破壊ありがとうのコントが孕むミステリー性とワクワク感に理由があるようだ。 【インタビュー前編】 プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編) 目次他人同士の3人だから生まれるリアルなコント「卒業後の進路はどうするんですか?」笑えるだけじゃなく、ワクワクするコントを人間を超えたい健康に、純粋に、コントを続けるために 他人同士の3人だから生まれるリアルなコント 左から:木下もくめ、田中机、森もり ──前編では2021年に踏んだ初舞台について伺いました。そのときにはすでに「この先も3人でやっていくだろうな」という予感はありましたか。 田中 いや、まったく考えてなかったです。ネタを考える方向性もバラバラだし、キャラクターも全然違うから、台本もすごく書きづらいんですよ。演技の方向性もちょっとずつ違うし。 森もり 僕がアニメとかマンガっぽくて、木下は演劇っぽくて、田中は自然な人の演技。 田中 まったくチグハグな3人で、どうやって辻褄を合わせようか、最初のころは苦戦してました。でも、そこをうまくクリアできたら、3人にしかできないネタになったような気がしました。この3人に合うネタを考えてると、オリジナルのものができるんだっていう手応えを、徐々に得ていったっていう感じです。 木下 破壊ありがとうのコントは「他人同士が巡り合って、どうなるか」を描いていておもしろいってたまに言っていただくんですけど、そういうコントが自然とできていくのは、そもそもメンバーがみんなバックボーンも好きなものも全然違う「他人同士」だからっていうのがあると思うんです。 田中 そうですね。台本を書いていって、ふたりに実際に読んでもらうと「この人たちは、こういうふうに読むんだ」って毎回気づかされることが多いんです。「このキャラクターはこんなこと言わない」とか、「一人称が合ってない」とか、「このセリフはお客さんを意識しすぎてる」とか。そういう感覚を全部反映して、台本を書き直します。 森もり 読む段階で、キャラクターの言動が不自然だなと思ったら、それは全部話すようにしてます。そこの感覚を全部大切にするのが、僕たちのやり方だなって。 木下 そこは細かく相談してるよね。 田中 登場人物を自然にするってことはかなり意識していますね。僕らには、徹底的にバカバカしいコントよりも、自然なコントのほうが合っているから。お客さんが「あり得ないよ」って白けてしまわないように、自然な設定とセリフは意識しています。 「卒業後の進路はどうするんですか?」 ──今年の4月にプロとして活動することを発表されました。破壊ありがとうで今後も行こうって思ったのはいつごろですか? 森もり それこそ前編でもお話しした『テアトロコント』の出演が決まったときなんで、2023年の8月です。テアトロコントのキュレーターをされている小西(朝子)さんが声をかけてくれたタイミングで「卒業後の進路はどうされるんですか?」と聞いてくれて。 田中 そこで初めてプロになるかどうか話し合いました。それまではあえて言わないでやってきたんですよね。手応えはあったけど、プロとしてやっていくのは難しいんじゃないかと思っていたので。 木下 お笑い芸人を職業にできるっていう考えがまったくなかった。 森もり でも、テアトロコント出してもらうなら「プロになります」って言わないと失礼だなと。 木下 大学生でお笑いやってて、その先にプロの道がつながってるだなんて思ってなかったから、びっくりしました。大学1年生のときに所属していたミュージカルサークルでは、公演を打ってもプロのミュージカル関係者が来るわけじゃない。でもお笑いサークルは、そうやってプロの方が観に来てくれて、引き上げてくれる。 田中 でも、小西さんみたいな方はやっぱり珍しい。「ただただ、おもしろいものを観たい」っていう小西さんの好奇心のおかげで、見つけてもらえたんです。 笑えるだけじゃなく、ワクワクするコントを ──今年の3月にはテアトロコントの会場でもあるユーロライブで単独ライブを行い、大盛況でした。急きょ追加公演が決まって、300人以上の集客があったようで驚きました。 田中 ありがたかったですね。手応えのあるネタもできたので、よかったです。特に『砂』と『クイズ』は気に入ってますね。 ──『砂』は、新入社員が、砂の山から粒をひとつずつ分けて、数えていくネタでした。設定は不条理だけど、妙なリアリティがあって笑えました。 田中 まだちょっと足りない部分はあるんですけど、あれは自分たちでもワクワクしました。最初は単純に「砂を数える行為が大きな笑いになったらワクワクするな」ってところからスタートしてて。「これってこうやって見せたら実は笑えるよね」ってみんなに共有するのが好きなんです。 ──『クイズ』のネタは、旧友の葬式に行く前にカラオケに集まったんだけど、ひとりだけこのあとに葬式があることも、そもそも誰が死んだのかも知らない、という設定のコントでした。葬式コントは定番ですが、『クイズ』は葬式に行く前が舞台で、しかも誰が死んだかわからないというミステリー仕立てなのが新鮮でおもしろかったです。 森もり ありがとうございます。あれは本番の2日前にようやくかたちになって、「これはけっこうワクワクするネタになりそうだね」って興奮しましたね。 田中 うんうん。その前日までは、どうやっても不謹慎な感じが拭えなくて、「今回はやめとく?」って相談してたくらいなんです。でも、その2日前のネタ合わせがうまくいって、これはただ笑えるだけじゃなくて、ワクワクもあるネタになるぞって確信しました。このテーマが笑いになったらすごくワクワクするっていうところは、原動力になっていますね。 森もり 一番大切にしてるのは、そこだね。ワクワクするかどうか。 ──破壊ありがとうのネタは、観客が予想するエンディングの、その先まで見せてくれるので驚きと満足感もあります。『砂』の場合は数え終わったところから、またストーリーがうねっていく。そこまででもじゅうぶんおもしろいのに、その先を考え抜いてコントにするところが、好きです。 田中 お客さんだけでなく、僕ら自身もどこに向かっているのか、わからないように見える。そういうミステリー感のあるコントが好きなんですよね。僕はもともとミステリーというジャンルが好きなんですけど、お笑いにおいても、ミステリーがあるとすごくワクワクする。演者ですら、どこに行くのかわかってないように思えるコントを作りたいです。 木下 コント自体は何度も練習してるんで、もちろん「どこに行くのかわからない」なんてことはないんですけど、でも、その日の会場の雰囲気を捉えて、ちょっとした演技のさじ加減で、空気が変わるっていう緊張感はいつもあるんです。だから演者の私たちがそこでハラハラしている感じも、お客さんにとってはワクワクする要素になるかもなって思います。 ──コントといっても、ナマモノなんですね。 木下 そうですね。でもたぶん、漫才とはまた違って、お客さんのほうに意識が向かうとダメになっちゃう。 田中 僕らの場合、コントのキャラクターから降りたツッコミもないようにしてるので、舞台上と客席の間に明確な線引きはあるんですよね。 木下 コントをしているときは、意識は内側にありつつも、俯瞰でも見ていますね。 人間を超えたい ──今はライブシーンで活躍されていますが、これからはテレビにも出ていきたいですか。 田中 呼んでいただけたら、もちろん出たいです。 森もり 僕はめっちゃ出たいです! 『(千原ジュニアの)座王』(関西テレビ)とか出たいです。 田中 森もりは大喜利が大好きだから向いてそう。僕らは一人ひとり得意なことがまったく違うので、それぞれが一番活躍できる場所に行けたらいいですね。 木下 私は、ピンでの活動は破壊ありがとうの広報活動っていうイメージです。舞台に出たり、イラストとかマンガを描くのも好きなので、そっちも何かできたらいいな。 田中 木下はもともとミュージカルやってたのもあって、歌って踊れるから、いろんな活躍の方法があると思う。 木下 好きなことや、やってみたいことが多いので、それを一つひとつ伸ばしていけたらいいなと思います。私個人の人生の目標は、「人間を超えること」なので……(笑)。 森もり これ怖いんだよなぁ。 木下 へへ(笑)。コントが好きで、絵描くのも好きだし、歌って踊るのも好き。そうやって好きな部分を全部伸ばしたら、どうなっちゃうんだろうって。観に来てくれたお客さんたちをビックリさせたいんです。「人間ってこうなれるんだ……」って思わせたいんです(笑)。 森もり 怖いよ……。 木下 『進撃の巨人』のミュージカル公演がすごかったんです。ミュージカルだから当然歌って踊るし、アクションシーンではワイヤーで跳びながら戦ってて。その役者さんができるすべての能力を使いきって人が人間の限界を超えてるように見えて感動したんです。 その場では物語という嘘が本当になっていたというか。自分の好きなことを伸ばしていけば、そういう嘘を本当に見せられる力を身につけられるんじゃないかと思ってるんです。もちろん心は人間なのでね、「うー、ツラい……」って落ち込むこともあるんですけど、そこは信じてます。 森もり 木下は弱虫だから。 木下 すぐ泣いちゃう(笑)。人すぎるからこそ、人を超えたいって思ってます。 健康に、純粋に、コントを続けるために ──木下さんの壮大な目標を聞かせてもらいましたが、破壊ありがとうとしての目標を最後に教えてください。 森もり 単独ライブをしっかり打って、それだけでごはんを食べられるようになりたいです。 田中 まずは3日間4公演とか埋められるようになりたいです。学生からおじいちゃんおばあちゃんまで、極力前提知識なく観られるものをがんばって作っていくので、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいです。 森もり あとは、もちろん全国ツアーもやりたいね。 木下 そうだね。昨年行われた、三谷幸喜さんの『笑の大学』の再演を観に、3人で仙台の電力ホールに行ったんです。内野聖陽さんと瀬戸康史さん、ふたりの会話劇を観るためだけに、1000人くらいのお客さんが集まっているのに感動しちゃって。 田中 僕らも3人で完結するコントで「どうだ!」と言えるようになりたいです。 ──コント師として『キングオブコント』という賞レースも見据えているとは思うのですが、いかがですか? 田中 もちろん決勝に行けたら、優勝できたら、とは思いますが、ガッツリそこを目指すのとはまた違っていて。 木下 私たちの場合は、そっちを目指すと体力が持たなくなっちゃう気がしてます。 田中 賞レースに挑戦しながら、自分たちのお笑いもやり続けてる人は本当すごいから。 森もり 僕らもバトルジャンキーではあるんですよ。だからこそ、ガッツリ戦おうとすると、すり減っていっちゃうだろうなって。 木下 そこのバランスは大事だよね。健康に続けたい。 田中 これまでもコントの尺も気にせず、おもしろいと思えるネタを作ってきたので、これからも賞レースで優勝するためのコントを仕上げようっていう感じにはならないかもしれないです。自分たちがおもしろいと思えて、笑えてワクワクできるコントを作りたい。その純粋な気持ちを忘れたくないですね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 破壊ありがとう 田中机(1999年6月26日、神奈川県出身)、森もり(1998年8月4日、東京都出身)、木下もくめ(2000年9月3日、埼玉県出身)のトリオ。2020年末、結成。2023年には、ユーロライブで開催された渋谷コントセンター月例公演『テアトロコント Vol.63』 に出演。2024年、同会場で単独ライブ『洒落臭い』を開催。チケットソールドアウトで、2回公演となった。YouTubeチャンネルでも、ネタ動画をアップしている。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 6/22(土)6/29(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【後編アザーカット】
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プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編)
コロナ禍にお笑いを始めた芸人たちが、台頭してきた。結成3年で、この4月からプロとして活動をスタートした「破壊ありがとう」は、次世代のコント師として、にわかに注目を浴びている。 物騒なトリオ名とは裏腹に、彼らは繊細な手つきで、身近なシーンから種を見つけ、新鮮な笑いを生み出している。 2020年末の結成ながら、東京のコントシーンの隆盛にひと役買う「ユーロライブ」での単独ライブも成功させた「破壊ありがとう」に、いまだ記憶に新しい初舞台の話や、お笑いを始めたキッカケを聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次初舞台のネタは“実話”「普通の大学生活」と「バンザイ同盟」への違和感破壊ありがとうの指針は『笑の大学』何者でもない3人を見出した恩人 初舞台のネタは“実話” 左から:森もり、田中机、木下もくめ ──3月にユーロライブで開催した単独ライブ『洒落臭い』は大盛況で、急きょ追加公演も行われました。芸歴1年目にしてキャパ200弱の会場で2回公演を打てるのは破格かと思います。破壊ありがとうの初舞台はいつですか? 田中 2021年の2月です。結成は2020年の年末。 ──最近のことですね。 森もり 初舞台は中野twlでしたね。地下の靴を脱がないといけない劇場。 木下 バトルライブで、1位をもらえました。 田中 30組くらいは出てたかな。基本的にみんな初舞台だから、まずウケない。そもそもお客さんも学生が3〜4人ぐらい。 森もり 俺らのときは5〜6人はいたんじゃない? 田中 そんな誤差を強調しても恥ずかしいので、やめましょう。 ──どんなネタをやったんですか。 田中 森もりが、真冬もタンクトップで過ごす小学生役で、学校でのあだ名も「タンクトップ」なんです。タンクトップが自分のキャラクターになってしまった彼は、母親に「寒くないの?」と聞かれても「大丈夫だよ」と、やせ我慢してる。 木下 そしたら児童相談所から人がやってきて「真冬にタンクトップなんて虐待じゃないですか」という話になるんです。お母さんが「大丈夫なんだよね?」と聞いたタイミングで、子供のお腹からポロってホッカイロが落ちる。 森もり しかもホッカイロでヤケドになってて、児童相談所の人がさらに疑うというコントでした。 ──子供とお母さんと児童相談所の思惑が絶妙にすれ違っていて、初舞台とは思えないほど巧みなネタですね。ネタは誰が書いたんですか? 田中 アイデアはみんなで出して、僕が台本にしました。真冬にタンクトップっていうアイデアは木下が持ってきたんですよ。 木下 友達から聞いた実話なんです。真冬に半袖着てたら、本当に児童相談所が尋ねてきたっていう知人がいるって。 田中 そのエピソードを、半袖がアイデンティティになっちゃった子の話にしたらおもしろそうってことで、自分なりにはだいぶ自信持って台本書けたんですけど、ボケとかツッコミとかも明確じゃないから、ほかの人が台本だけ読んでも全然おもしろく見えなかったんです。最初は森もりもどこが笑えるポイントなのかわからないって言ってたよね。 森もり でも実際にやってみたら手応えあった。 田中 僕らは性格も好みもバラバラだから、3人の意見をまとめていくのはけっこう大変です。今は基本的には僕がネタを考えて、ふたりからGOが出たら台本を書き出していくって感じです。実際に3人でネタ合わせをしながらふたりからアイデアとか「このキャラクターはこんな言い方はしない」とかの意見をもらって、3人で話し合って詰めていくって感じですね。 「普通の大学生活」と「バンザイ同盟」への違和感 ──3人は、2020年にお笑いサークル「早稲田大学お笑い工房LUDO」で出会ったそうですが、3人とも年齢が違うんですよね? 森もり そうです。僕が25歳、田中が24歳、木下が23歳。僕は大学4年のときに入りました。 ──大学4年までは何をしていたんですか? 森もり いわゆる「大学生」っぽい生活を謳歌してました。サーフィンしてみたり、バーベキューしてみたり(笑)。でもなんか心の底からなじめてはいないなっていう感じがしてて。しかも途中で休学して、大学に6年いなきゃいけないことが確定したんですよ。それで残りの3年間どうしようかな、なんかもっと自分でおもしろいことできる場所ないかな、と思っているときに、『大喜利プラス』という大喜利サイトを見つけて遊び始めたんです。 もともとお笑いは好きだったけど見るだけだったので、自分でおもしろい回答を作ってウケるという体験が新鮮でどハマりしてしまって。ちょうどそのタイミングでコロナ禍になり、いろんな制限があってうっぷんが溜まるうちに、笑いをスマホの中だけじゃなくて、実際に自分の体を動かしてやってみたいなと思いました。 ──それでLUDOに入った。 森もり そうですね。いきなりお笑いをやるなんて無理かな、とも思ったんですけど、芸人をやっている友達に話したら「とりあえずやってみればいいじゃん」って言われて「お笑いってやろうと思った日からできるじゃん」と気づかされました。 ──田中さんはどういう経緯でLUDOに? 田中 僕は、高校では演劇部に入ってて、脚本と演出をやってたんです。自分で物語を書いて、それをかたちにするっていうことへの感動はけっこう自分の中に残ってて、大学でもまた何か書きたいなと思っていました。 で、映画サークルに入ってみたんですけど、ノリが合わず。かといって、小説を書くみたいに、ひとりで創作をするのも性格に合ってなくて。気づいたころには、早稲田大学の「バンザイ同盟」に入ってました。 森もり 書くことから目を背けたんだよね。 田中 完全に血迷ってたね。バンザイ同盟っていう、100種類以上のさまざまなバンザイを人前で披露するっていうサークルに入ってたんです。結婚式とかに呼んでもらって、ただただバンザイをしてました。それをひたすら1年間。でも、バンザイ同盟には現実から目を背けてる人しかいなくて、みんな空虚なカラ元気でバンザイしてました。でも、コロナになって、バンザイすらさせてもらえなくなったんです。 木下 バンザイをさせてもらうって発想が怖いよ(笑)。 田中 ようやく「俺、こんなとこにいちゃダメだ」と気づいたちょうどそのときに、二浪して大学に入った友達から「お笑いやりたいんだよね」と言われ、一緒にLUDOに入りました。その友達はすぐに辞めちゃったんですけど、あそこで誘われてなかったら、僕がお笑いをやるなんてことはあり得なかったですね。 破壊ありがとうの指針は『笑の大学』 ──田中さんは高校で演劇をやってたのに、早稲田で演劇にいかなかったんですね。 田中 やってきたのになんですけど、演劇がめちゃくちゃおもしろいとは思えなかったし、観客としても観てこなかったんです。 ただ、三谷幸喜さんの『笑の大学』を高校生のときにDVDで観て、こんなのやってみたいなと思ってました。二人芝居というシンプルな作りで、舞台上には至って真剣な登場人物しかいないのに、お客さんにはその真剣なセリフが笑えるものに見えるっていうのがすごくて。 木下 去年、3人で観に行ったよね。前日に行くこと決めて、深夜バスに乗って。 田中 ちょうど再演してたんで「これ本当におもしろいから」ってふたりを誘って仙台公演に行きました。「俺たちの指針にもなる気がするから」って。 森もり 初演ともまた違ってて、めちゃめちゃおもしろかった。 木下 すごかった。終わったあと、立てなくなっちゃった。 私は大学のときはお笑いサークルと並行してミュージカルをやってたんです。照明や音楽を使って盛り上げようとするミュージカルとも違って、演技と言葉のおもしろさだけで満足させる『笑の大学』はまた違うよさがあって、感銘を受けました。 ──そもそも木下さんは、なんでミュージカルからお笑いに転身したんですか。 木下 高校2年生からお笑いは好きだったんですよね。でもまさか、自分がお笑いをやる立場になるとは思っていなかったんです。 大学2年生のときにコロナ禍が始まり、ミュージカルの公演ができなくなってしまって。ヒマだったのでZoomで友人とコントみたいなおふざけをやっていたら、それがすごく楽しかったんです。そんなときにLUDOでスタッフをやっていた高校の同級生が「入ってみない?」と誘ってくれて。コントをやってみたい気持ちも高まっていたので勇気を出して入りました。 ──LUDOで出会った3人はすぐ「破壊ありがとう」を結成した? 田中 いや、最初は3人とも別のコンビだったんですけど、僕は一緒に入った友達と最初は組んでました。それからピンでやってたら、森もりが「一緒にやろうよ」と言ってくれて。ちょうど同じ時期に、木下もピンになりそうだから誘いました。 木下 そのとき組んでいたコンビは主に漫才をやっていたんです。時々コントもやったんですが、あまりうまくいかなくて。 田中 すっごい変なコントやってたよな。木下が化粧水を飲んで、内側からキレイにするみたいな。 木下 美しくなるための努力って滑稽だよね、みたいなネタだったんです。小顔にするためのマッサージで変な顔になるとか。 田中 すごい変なネタだったんですけど、木下がすごい輝いて見えたんです。この人はスターだなって思って。 森もり 俺もすげぇと思った。変顔もおもしろかったもんね。表現力がすごかった。 何者でもない3人を見出した恩人 ──そして2020年末に結成し、冒頭の初舞台に至ったんですね。今年、LUDOでは大学お笑いの大会『NOROSHI』で優勝も飾っています。 森もり 同期の友田オレと放電っていうコンビと一緒に出たんですけど……。 田中 サークルの活動にはほとんど関わってこなかったから、最初はちょっと気まずかったですね(笑)。最後は仲よくなれましたけど。在学中は自主ライブばかりやっていて、LUDOのライブに出たのは5回あるかないかぐらいだったから。 ──なぜLUDOで活動しなかったんですか? 森もり 僕らがLUDOに入った年に、コロナが始まって、それまでのライブ活動ができなくなったんです。サークル主宰のライブが打てなくなったり、バトルライブが中止になったり。そうすると、自分たちでライブを打つしかなくて、自然とサークルから離れていきました。 田中 僕らはネタ時間の長いコントが多いんですけど、それもコロナ禍のせいというか、おかげというか。自分たちのライブだから、尺をあんまり気にせず作ってこられたんです。 木下 ライブとか大会のネタ尺って基本的には3分なんです。でもコロナのせいで、そこを通ってこなかったから、短い尺で収めなきゃという気持ちはあまりなくて。やりたいことを、やりたい尺でやろうってなってました。 森もり 僕らの世代は、自分たちでライブを打つことを覚えていった世代だと思いますね。 ──そうやって自主ライブを重ねた末に、2023年にはユーロライブで行われているコントと演劇のライブ『テアトロコント』に出演されました。 木下 テアトロコントはずっと目標だったのでうれしかったです。破壊ありがとうは、こういう場所を主戦場にしていくんだって気づかせてくれた場所で。 田中 テアトロコントを教えてくれたのは、木下なんですよ。 木下 私が大学1年生のときに、お客さんとして観に行ったんです。高校時代に演劇もやってたから、コント師と演劇の人たちが合同でやるライブはおもしろいなと思ってました。 田中 僕も高校時代に演劇をやっていたので「テアトロコントっていうのがあるよ」って木下に聞いたとき、それに出られたら最高だなと思ってました。そしたら2023年の3月にお誘いがあって。 ──テアトロコントのキュレーターである小西朝子さんに売り込んだんですか? 田中 いや、何もしてないんです。 森もり 小西さんは、新宿バティオスっていう小さい会場でやった、最初の単独ライブにも観に来てくれたんですよ。 木下 YouTubeの動画も2本くらいしか上げてなかった時期なんですけど、たぶんそれを見てくださったみたいで。 森もり 最初の単独ライブ『おととい』って、2022年の4月だからね。 木下 小西さんと実際にお会いして、Instagramの過去の投稿を見たら、本当に2022年の4月に私たちのフライヤーの写真を上げて「おもしろかった」って書いてくださってて。あんなに早く見つけていただいたのを知って、すごくうれしかったですね。 田中 常におもしろいものを見つけようとしてる小西さんがいなかったら、僕らもプロになろうとは思わなかったです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 破壊ありがとう 田中机(1999年6月26日、神奈川県出身)、森もり(1998年8月4日、東京都出身)、木下もくめ(2000年9月3日、埼玉県出身)のトリオ。2020年末、結成。2023年には、ユーロライブで開催された渋谷コントセンター月例公演『テアトロコント Vol.63』に出演。2024年、同会場で単独ライブ『洒落臭い』を開催。チケットソールドアウトで、2回公演となった。YouTubeチャンネルでも、ネタ動画をアップしている。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 6/22(土)6/29(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編)
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目標に捉われず“今”を楽しむ?ぱーてぃーちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(後編)
コロナ禍のテレビに突如として現れ、ノーテンキなギャル漫才でブレイクしたぱーてぃーちゃん。 そんな彼らが、一介のお笑い好きから芸人になった初舞台について、聞いていく。前編ではリーダー的存在であるすがちゃん最高No.1がまさかの大遅刻で、信子と金子きょんちぃのみの展開に。 さて、すがちゃんは無事インタビュー現場にたどり着くのか? ぱーてぃーちゃんの現在地はいったいどこだ。 【インタビュー前編】 ぱーてぃーちゃん結成前夜、ギャルふたりがコンビで立った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(前編) 目次すがちゃん、未だ到着せず遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話アオハルだったブレイク前夜賞レースは一回休み……?自信満々でスベった初舞台アイツらのこと嫌いになりそうだった すがちゃん、未だ到着せず 左から:信子、金子きょんちぃ、(撮影には間に合った)すがちゃん最高No.1 ──前編に続き、すがちゃんさんがまだ到着されていません。なので、もう少しおふたりに話を聞きたいんですが、そもそもすがさんとの関係はどんな感じだったのでしょうか。 信子 もともと(信子&きょんちぃのコンビ)「エンぷレス」のネタを書いてもらってたんです。私が「こんなことやりたいんだよね」って伝えて、おしゃべりしながら95%くらい作ってもらってた。 きょんちぃ アイツのシェアハウスに居座って「ネタ書かないんなら、ウチらは帰らないぞ!」って脅してた。 信子 面倒見いいんだよね。ワタナベに所属して最初にごはん連れてってくれたのもすがちゃんだし。それからは「月一すがの会」でごはん連れてってもらった。 ──そんな3人が、すがちゃんの元のコンビ解散をきっかけに合流するわけですけど、初舞台って覚えてますか? 信子 それが2020年の11月かな? すがちゃんが解散したのが10月なんで。その時期って解散する芸人が多くて。 きょんちぃ 毎年、賞レースの予選で負けて、解散する芸人が多い時期。でも、あの年はコロナだったから特に多かった。 信子 そうそう。で、そういう解散してこれからどうしようって芸人を集めて、即席ユニットを作るライブがあった。そこで初めて3人でやったんだよね。あの日がぱーてぃーちゃん史上一番スベったけど、なんか遊びでやっただけだから、あんまり思い出はないかも。 遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話 ──そこからどうやって正式に組むことになったんですか? 信子 えっと……。 きょんちぃ あれ? アイツ来たんじゃね? すが 本当に申し訳ございません……! 今、地球で一番申し訳ないと思ってる男です。 信子 遅すぎ〜(笑)。てか急に入ってくるなし。何しゃべろうとしてたか忘れたじゃん! きょんちぃ 正式に組んだのはいつかって話。 すが わかりました、全部私が説明いたします。正式に組んだのは2021年の4月ですね。その前は2〜3回一緒にライブ出たり、ネタ番組のオーディション動画を送ったりするだけだったんですが、そのタイミングでぱーてぃーちゃんのポーズ漫才ができて、それがハマって北海道放送の『知らなくて委員会』の「芸人ショートネタ選手権」に出られることになったんです。そこで初めて人生で一度もがんばったことなかった我々が本気で準備しました。 信子 めっちゃがんばったよね! ──今のすがさんって分析家なイメージがありますが、当時はノリでぶつかるタイプだったんですね。 すが 人がいいって言うことは全部やらないっていう、ちょっとトガッた感じでした。でも『知らなくて』のときは、ちゃんとハマるためにめちゃめちゃシミュレーションして備えたんです。結果的に本番の出来がめちゃくちゃよくて優勝させてもらって、その日のうちに、APさんから「ほかの番組にも出てくれない?」って言われましたね。テレビって、ハネたらほかにつながるって本当なんだなって実感した。 ──『知らなくて委員会』をきっかけに、正式にぱーてぃーちゃんを結成した? すが 端的に言うとそうですね。僕ら、きょんちぃのバイト先のバーでネタ合わせをすることが多かったんですけど、ある日ふたりがそこに僕を呼び出したんです。これは「組もう」って誘われるなっていうのは察してたんですよ。っていうのも、僕のシェアハウスの同居人がテレビマンなんですけど、そいつは僕らが組むのを勧めてて。ギャルたちにも「後輩のお前らから一緒にやろうって言ったほうがいい」って言ってたらしい。 信子 そうだね。 すが だから僕もそういう心づもりだったんだけど、店に入ったらコイツらタバコ吸いながら白々しく「おはよ〜」って言ってて。いつまで経っても言い出さないから結局僕が折れて「いったんやってみるか?」って言ったら「ナオトがそう言うんだったらいいよ〜」とか言ってきやがった。こいつらマジ、シャバかったですよ。 きょんちぃ もう遅刻反省モード終わってんじゃん。 すが くっ……申し訳ありません。 アオハルだったブレイク前夜 ──正式に組んだ2021年の終わりに出た『おもしろ荘』でブレイクしますが、その前に売れると確信したタイミングはありましたか。 すが ぱーてぃーちゃんのポーズができて、K-PROのライブで初めて披露したときは初めてイケるかもって思いましたね。 信子 耳がキーンってするくらいウケたもんね。 きょんちぃ 私たちがポーズ取った2秒後に笑いが来た。 すが あの笑いは「おもしろい」だけじゃなくて「新しいものを見た!」っていう興奮も入ってたな。 ──『おもしろ荘』の出演ってどうやって決まるんですか? すが 秋くらいにオーディションが始まるんですよ。だから4月に組んでからはそこを目がけてがんばってました。一次審査は通ったんですけど、二次から総合演出の名物おじさんが出てきて、「ガチャガチャやりすぎだな。シンプルなギャルとチャラ男の漫才が見たかった」って反応が悪かった。たしかにそのときは、とにかくブチかませばいいと思ってたんですよね。で、今回は落ちたかなって思ってたら、たまたま若手のスタッフが僕らを好きって言ってくれて、なんとか最終まで残った。それで次が最終。日テレの会議室にお客さん入れてやるんですよ。 信子 めちゃめちゃ緊張した! きょんちぃ 空気が重いっていうか、変な感じだった。お客さんも審査員みたいな顔してるから。 すが ははは(笑)。 きょんちぃ ちゃんぴおんず、ぱーてぃーちゃんの順だったんだけど、ちゃんぴおんずがあり得ないくらいスベってて。 すが 「ちょんってすなよ」を見つける前だから。僕らはまぁスベってないくらいで、結果的に受かった。それで翌日また日テレに呼ばれるんですけど、そこからがまた地獄だった。 すが しっくりこなくて結局ネタ全部作り直したりとか。たまたましんどいロケが重なったりライブ詰め込みすぎたりしたせいで死ぬほど忙しかった。 きょんちぃ すがちゃん、めっちゃじんましん出てたよね。 信子 ヤバかった。一瞬、目を離してまた見たらプツプツプツって出てた。あのころはすがちゃんを労ってジュース買ってあげたりしてた。懐かしすぎる! すが でもなんか青春っぽかったよな。 信子 うん、マジでアオハルだった。 賞レースは一回休み……? ──もうお時間もそろそろなんですが、最後に3人はこの先どうなっていきたいのか聞かせてください。 きょんちぃ 私はM-1(グランプリ)チャンピオン。 信子 賞レースは勝ちたいね。来年は『R-1(グランプリ)』決勝行くから! 『THE W』(女芸人No.1決定戦 THE W)もがんばる! ──賞レースも出られるものは全部出て、決勝の舞台を狙っていく。 すが いや、うーん……それも悩みどころですねぇ。 きょんちぃ はぁ? 早くM-1獲ろうよ。 信子 『キングオブコント』も! すが いや、真剣な話、テレビに出ながら賞レースのネタを仕上げるってめちゃめちゃ難しいなって痛感してるんだよ。俺らくらいの露出度だと一回のテレビ出演で世間のイメージもガラッと変わるから、そこを微調整しながらネタに落とし込むのが難しい。実際、テレビにたくさん出ながら、賞レースに挑戦してる人は異常ですよ。 僕らは今後、タレント活動がメインとなるタイプの芸人だと思うんで、タレントとして成長しながらネタも作ってライブで仕上げていくやり方は、正直見えてない。 ──今年は賞レースに出ない選択もあり得る? すが どうしよっかな……。 信子 ぱーてぃーちゃんは違うよ! きょんちぃ ウチらが休んだら終わりだよ。コイツら芸人辞めたんだって思われるから。 すが もうニン(漫才における“人柄”)は出せたし、のびのび自分らのよさを出すところはクリアできた。新たなシステムが必要で。そこさえ思いつけば準決勝、決勝も見えてくるとは思うんですけど。 信子 えー、どんなかたちであれ、絶対出続けるべきだよ。 すが 要検討ですね。 ──過渡期にあるぱーてぃーちゃん、興味深いです。今日はありがとうございました。ここでお時間が来てしまったので、撮影に移りましょう。 信子 すがちゃんは後日、補習だから! ──そうですね。少しリモートで追加取材お願いします。 すが 全然なんでもやります! 自信満々でスベった初舞台 ──(後日)改めまして、すがさん。今日は取材お願いします。ご自宅ですか? すが そうですね。確定申告してました。 ──年度末の忙しいタイミングで追加取材ありがとうございます。今日はすがさんが芸人としてどんな初舞台を踏んだのかを聞かせてください。そもそも芸人になろうと思ったきっかけはなんだったんですか? すが もともとテレビ番組のADをやってたんです。そこでキャリアアップを図ろうとしたんだけど、採用試験に落ちちゃって。そのタイミングで専門学校時代の同級生に呼び出されて「芸人にならねぇか?」と誘われたんです。 自分が表に出る仕事なんて無理だって最初は言ったんですけど、即興で一回やろうと言われるがままに深夜のカラオケでネタのまね事したら「イケるんじゃね?」と勘違いしてしまった。満員のお客さんの前で爆笑を取る自分たちが浮かんだんです。 でも、芸人になろうと思ったタイミングが5月とか中途半端な時期で。NSCに入るには1年待たなきゃいけないから他事務所を探して、最初はマセキ(芸能社)に行きました。だから芸人としての初舞台はマセキのオーディションですね。「俺ら絶対ウケるっしょ」って自信満々だったけど、あり得ないくらいスベリましたね。 ──どんなネタをやったんですか。 すが 相方が書いたネタだったんですけど、くまのプーさんのマラソン大会みたいなテーマの漫才でした。プーさんってかわいらしいけど、実際はクマだからヤバいぞ、みたいな。僕はツッコミでしたね。それで結局マセキはあきらめて、半年後に秋入学でワタナベ(エンターテインメント)に入りました。「君たちは天才だ。第二のハライチになれるよ」ってめっちゃ褒められて天狗になって行ったら、第二のハライチが100人ぐらいいた。 ──全員に同じことを言ってたと(笑)。 すが 騙されたなとは思ったけど、まぁ事務所入んないと仕事はなかなか来ないだろうなと思ったんで、そのまま入りましたね。 次々と後輩に抜かされたコンビ時代 ──2013年秋に入学したワタナベの養成所はどうでしたか? すが めっちゃ調子よかったです。当時僕らが養成所ライブで作った連勝記録は、10年経った今でも破られてないんですよ。1回だけ、“Why Japanese people!?”を産みたての厚切りジェイソンに負けましたけど、それ以外は全勝。でもあっという間にジェイソンに抜かれましたね。 ──とはいえ、養成所時代にそれだけ活躍すると将来を嘱望されるんじゃないですか。 すが 「第二のキングコングが来るらしいぞ」って言われてたみたいで、お笑いちょろいなって調子乗ってました。結局、所属してからは事務所ライブでは勝てるものの、テレビのオーディションに受からなくて。後輩のブルゾンちえみ、四千頭身、丸山礼が売れて、先輩でもサンシャイン池崎さん、平野ノラさん、クマムシさんがブレイクして、自分らはさんざんでしたね。 ──鳴かず飛ばずで、数年後に一緒に事務所に入った相方とのコンビを解散します。 すが 5年目ぐらいまでは同じ方向見て歩いてたんですけどね。第7世代が出てきたタイミングで、僕がそろそろ売れなきゃなと思って、「まだ迎合しないぞ」ってトガッてた相方と考え方がズレていきました。 ──それでぱーてぃーちゃんを組むことになると。 すが そうですね。個人的にはピンで10年目までは本気でがんばってみようかなって思ったときに、軽い気持ちでギャルたちとネタやったらこんなことになりました。 ──もともとふたりには芸人としての魅力を感じていて組んだんですか? すが 芸人としておもしろいと思ったことはなかったですね。人としてはめちゃめちゃおもしろかったけど。アイツら、本当どうしようもないチンピラだったんですよ。芸人界に初めて舞い降りた養殖じゃない天然のギャルだったから、そりゃ合わないですよね ──ギャルでありながら、お笑いへの愛も人一倍強いふたりですよね。 すが 当時はそこがまた厄介でした。お笑い憧れが強烈なぶん、舞台に上がると芸人っぽく振る舞わなきゃいけないって気持ちが前面に出ちゃって身動き取れないみたいな。アイツらは本当にテレビに鍛えてもらった感じです。 アイツらのこと嫌いになりそうだった ──この間、3人インタビューした際に、賞レースに消極的な発言をしてたじゃないですか。ちょっと前までのすがさんは、年間計画をきっちり立てて、賞レースの目標もしっかり決めていましたが、今はそういうモードじゃないんですか? すが そうですね。前は本当に細かくビジョンを決めて、どういう見え方をすればテレビ出演やCMがゲットできるか考えて動いてたんですけど……3人ともストレスが溜まりすぎたんで、去年の夏前くらいから綿密に計画を立てるのはやめたんです。ちょっと売れるスピードがゆるやかになっても、なんか楽しいほうがいいかなって僕も思うようになりました。 ──ブレイクの波に乗ってるときに、シフトダウンするのは勇気がいりませんか。 すが たしかに勇気いりましたけど、でもそのまま行くほうがしんどかったっすね。正直、毎日アイツらのこと嫌いになりそうだったし。組んでから3年近くになりますけど、4回ぐらい解散しようと思ったこともある。でもそれは僕が立てた目標や、ふたりを急かす感じが原因だったなって気づいたんです。ぱーてぃーちゃんにおいて一番大事なのは、自分らが楽しくやれること。未来のためじゃなくて今が楽しいってほうを選んでるので、今は全然愉快にやってますね。 ──前はきょんちぃさんが急に髪色変えたとかでバトルしてましたもんね。 すが もうそういうの疲れちゃったんです。俺、別に生活指導じゃねぇんだからさって(笑)。もうみんな好きにして、楽しくやろう、それでいいんだと。アイツらもそっちのほうが性に合ってるんですよ。見てるほうもストイックな僕らより、バカみたいに楽しそうなぱーてぃーちゃんのほうが好きだろうし。とりあえず愉快な感じで続けてれば、俺らはおもしろいんじゃないかなって今は思ってます。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ぱーてぃーちゃん すがちゃん最高No.1(1991年8月21日、山形県出身)、信子(1992年8月1日、大分県出身)、金子きょんちぃ(1993年9月19日、神奈川県出身)のトリオ。2021年、コンビを組んでいた信子ときょんちぃに、すがちゃんが合流して結成。同年末の『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ)への出演をきっかけにブレイク。賞レースに挑戦しながら、個人としても活躍する。YouTubeチャンネル『ぱーてぃーちゃんの今夜はなにパ?』は、“ガチガチに決めちゃうとイヤになっちゃうから”不定期更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演アーカイブ ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん~ぱーてぃーちゃんが裁判!?~ 【後編アザーカット】
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女優・桜田ひより、二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと
旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 インタビュー【前編】 目次お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』 ──放送中の主演ドラマ『あたりのキッチン!』について伺いたいです。どのような作品ですか? 桜田 はい、今も絶賛撮影中で、お腹が空きます(笑)。撮影中は、本当にお腹がすごく空くんです。 ──(笑)。料理については、どうですか? 桜田 作品内の料理は手軽に作れるもの、家庭料理が多いので、視聴者の方々もまねしていただきやすいかなと思います。この作品自体はグルメに焦点を当てるというより、グルメとハートフルなドラマの要素が組み合わさっているんですよね。 主人公の辺(あたり)「清美」ちゃんはコミュニケーション能力がゼロの大学生で、話が進むにつれて、関わっていく人々によって成長していく過程や、将来の自分についての悩みにもがく姿など、大学生ならではの胸に迫る瞬間も描かれています。観ていただければ、お腹も空きつつ、でも心は満たされる素敵な作品だと思います。 ──『あたりのキッチン!』ではメガネをかけていましたが、今までも桜田さんが演じるのはメガネをかけたキャラクターが多い印象があります。 桜田 メガネをかけてお芝居するのって意外と難しいと思っていて。技術的な問題になっちゃうんですけど、反射でどうしても顔が撮れなかったり、フレームで目が隠れたりということがあって。顔の角度とかも、意識しないとちょっと難しいんです。 ──たしかに。お顔も小さいので、合うメガネを見つけるのも難しいでしょうし。 桜田 メガネの形で、雰囲気も変わってきますし。 ──『家政夫のミタゾノ』の「実優」ちゃんと『あたりのキッチン!』の「清美」ちゃんは、キャラクター的にもかなり違いますが、その演じ分けはどうでしたか? 桜田 楽しいです。どちらもやっぱり演じていて楽しいですし。「実優」ちゃんのように相手のパーソナルスペースにすんなり入り込むことも楽しいですし、「清美」ちゃんのちょっとずつ成長していく姿は親目線というか、がんばれがんばれっていう気持ちで演じているので、それも楽しいです。観ていただく方々に変化を感じていただけることを期待しています。 殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い ──今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 桜田 今後……そうですね。まだ制服を着る役にも挑戦できるかなと思うので、制服を着た役や、若さならではの恋愛に焦点を当てた役とか、それと! 刺激的な殺人鬼のような役にも挑戦してみたいと思っています。二十歳を過ぎてから、役の幅もますます広がると思っているので、さまざまな役に挑戦していきたいです。 ──若い女優さんにこの質問をすると、みなさん、殺人鬼の役を挙げるんですよね(笑)。 桜田 わぁー。みなさん、思考がちょっと変わってるのかもしれないですね。私もだけど(笑)。 ──殺人鬼の役を演じたいということですが、今までって、逆に何かに追われる役のほうが多かったりしません? 桜田 たしかに! 追われる役、多いですね。よく森に逃げて、森の中を走り回るシーンが多かったです。 ──ですよね。それと、プライベートの話も伺いたいのですが、最近ハマっているものや気になっていることはあります? 桜田 私、最近何してるんだろう……(笑)。思い出せない……台本を読んでいることくらいしか思い浮かばないです。楽しみを見つけたいと思います。 ──(笑)。何かやってみたいことはありますか? 桜田 マイナスイオンがたくさん出ているような森に行って、癒やされる系の旅館に泊まってみたいです。鳥のさえずりを聞きながら、リラックスできる場所で過ごしてみたいです。私はインドア派なので、思いきって外に出てみたいですね。 ──ちょうど1年くらい前に取材で話を伺ったときには、スカイダイビングをやりたい、と。 桜田 ああー(笑)。スカイダイビングは、ずっとやりたいんです。機会があれば挑戦したい。気球にも乗ってみたいです! 二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと ──去年の12月に二十歳を迎えてもうすぐ1年が経ちますけど、どうですか? 何か変わりました? 桜田 なんにも変わっていません(笑)。仕事は本当に充実した1年で、着実にステップアップしている感覚はあるんですけど、プライベートでは何も変わりませんでした。 ──たとえば、お酒を飲むようになったり……。 桜田 そうですね……お酒も本当にたまにしか飲まないので。しかも基本的に家族と乾杯することが多いです。 ──なるほど。まわりからの期待など、二十歳になって変わったと思うことはありますか? 桜田 そうですね、仕事先で、作品を観たよ、よかったよ、と褒めていただく機会が増えたと思います。すごくうれしいです。 ──あと、現在思っている(スカイダイビング以外に)今後、挑戦してみたいことってあります? 桜田 冬に「かまくら」をつくってみたいです! これまで「かまくら」をつくったことがないので、試してみたいです。家の中でやりたいことは、だいたいやってきたと思うので。連れ出してくれる何かがないと、外に出られないんです(笑)。だから「かまくら」をつくりに行きたいですね。 ──「かまくら」づくりは、けっこうコツがいるんですよね。 桜田 崩れないようにがんばりたいです。手先が器用だと思うので、できる気がします(笑)。 ──体力も……。 桜田 体力も意外とあると思うので……がんばります! ──具体的にこのあたりへ行きたいとか、考えている場所はありますか? 桜田 北海道でおいしいものを食べたいですね。特に海鮮系。 ──北海道でおいしいものを食べて、「かまくら」をつくって、気球に乗って……。 桜田 森の鳥のさえずりを聞きながら(笑)。 ──ぜひ、そういう仕事を。 桜田 お待ちしております(笑)。 ──(笑)。最後に……日常生活で気をつけていることとか、普段やっていることはありますか? 桜田 撮影中はお弁当を食べることが多いので、時間があるときは、サラダや野菜を摂取して身体のバランスを保つようにしています。睡眠にも気をつけています。睡眠不足になると肌が荒れたりするので、スキンケアや身体のメンテナンスは、ゆとりがあるときに心がけていますね。最近は特に。 ──料理とかも? 桜田 たまに自炊もします。家族が食べたいものをつくったりしています。簡単なスープをつくったりすることが多いですね。 ──いわゆる冷蔵庫にあるものを使って……。 桜田 レシピさえあれば、基本なんでも! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。
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『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい。女優・桜田ひよりの役づくり
#17 桜田ひより(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次中学3年生で“役”に没入する感覚を経験作品を通して“青春時代”を擬似体験『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい 中学3年生で“役”に没入する感覚を経験 ──桜田さんがこの世界に入ってからの、初仕事は覚えていますか? 桜田 本当の意味で最初に行った仕事というと、詳しく思い出せないんですけど……でも小さいころから演技のレッスンに通っていて、気づいたらドラマや映画に出ていた気がします。 ──こんなふうになりたいと憧れた女優の方などはいました? 桜田 女優さん……5歳くらいから始めているので、そのころはまだ将来像まで考えることはありませんでしたね。習い事の延長のような……仕事というより、楽しいものとして、演技を楽しんでいました。 ──なるほど。経験を重ねる中で、特に印象に残っている作品はありますか? 桜田 中学3年生のときに出演した映画『祈りの幕が下りる時』(2018年)です。初めて“役”に没頭したという経験がとても印象に残っていて、鮮明に覚えています。いい意味で“役”と一体化する感覚を得ることにつながったんですけど、逆な意味では(演じていた)記憶がなくなるのは怖いなと感じたりもしました。 ──印象に残っている共演者の方はいますか? 桜田 小日向(文世)さん、お父さん役でした。とても印象に残っています。 ──まわりの反応はどうでした? 桜田 反応はスゴかったです。たくさんの反響をいただき「大ヒット御礼の舞台挨拶」にも登壇させていただいたので。本当に多くの方から、印象に残ったと言っていただけました。 ──その後もいろいろなドラマに出演されていますが、「役づくり」について、ルーティン的なものはできたりしましたか? 桜田 そうですね。役づくりの際に大切にしているのは、自分自身が、演じる役の一番の理解者であることです。たとえば、殺人鬼のような役を演じる場合、通常の感覚ではその役の行動に共感できないじゃないですか……なんでこんなことするんだろう?とか、普通の人じゃ考えられないようなことをするという。そういう非日常的な役を演じるにあたって、実際には経験したこともないし、その思考回路に入ることもできません。だからこそ、演じる役の過去や背景を想像し、役の立場や行動を理解するよう努めます。 たとえば、幼少期に何があったのかとか、どのような経験からこうなったのかとか……こういったアプローチをして理解を深めることによって、その役の立場や意味を理解できるようになると思っています。役割も明確になりますし。 ──たとえば……女子高生役やリアルな彼女の役、またはSFや架空設定の役など、それぞれ異なる役を演じる際には、どのように? 桜田 私は原作のある作品に出させていただくことが多いので、そのときは原作を入念に読み込んで、その世界に入り込むことから始めたり。あと、洋画や海外の作品も好きなので……現実離れした作品とか多いので、架空の設定にも抵抗感が薄いですし、想像力を広げることも無限大だと考えているので。なので、役づくりで苦労することはあまりありません。作品の世界にスムーズに入り込めるほうだと思っています。 ──海外の作品で、特に好きなものはありますか? 桜田 SF、ファンタジー、アクションとかすごく好きですね。 ──具体的な作品を挙げるとしたら? 桜田 ありきたりなんですけど『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』『ミッション:インポッシブル』『バイオハザード』などが好きです。ほとんどアクションとSFですね(笑)。 作品を通して“青春時代”を擬似体験 ──最近では、映画『交換ウソ日記』がありましたけど、この作品はどうでした? 高校生役でしたね。 桜田 そうですね。青春ものを演じることは、自分の人生の中で限られた期間しかないと思っています。大人になっちゃうとできないし、子供すぎても難しかったし。だからこそ、今の絶妙なラインでいるからこそ、この作品が成立すると感じました。 同世代の俳優の方々と共演することは刺激になりますし、制服を着て青春ものを演じることは、高校時代や中学時代に基本的に仕事をしていた私にとって、青春を味わう機会でしたね。 ──なるほど、手応えはどうでした? 桜田 手応え……実際には試行錯誤が多かったです。作品をつくる側として、観てくださる方にどれだけキュンキュンしてもらえるかがすごく重要だと思っているので、本当に、表情の微妙な変化など、それらを監督、プロデューサー、カメラマン、そして共演者と協力してつくり込みました。けっこう緻密な計算はありましたね。 ──まわりからの反響は? 桜田 はい、ありました。特に女性のファンの方からの反応が増えたように感じました。これが初めての恋愛映画で、ヒロインを務めることになったので、ファンのみなさんもすごく喜んでくれて。 ──ご自身、映画館で鑑賞されたりとか……。 桜田 観ました! 実際に映画館に行って観ました。みなさん、意外なところにキュンキュンしてくれてたりとか……え? ここでキュンキュンするんだ、とか。私たちが演じた作品に真摯に向き合ってくれている様子を見て、とても印象に残っています。 『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい ──近々のドラマ出演について伺わせてください。『家政夫のミタゾノ』のオファーを受けたとき、どうでした? 桜田 シリーズとして続いている作品だったので、それに伴う責任も感じました。単にシリーズの一環として捉えるのではなく、この『家政夫のミタゾノ』という世界観に新しい風を吹かせられる機会と思い、挑んだんです。現場はすごく明るく、松岡(昌宏)さんや伊野尾(慧)さんが温かく迎えてくださったので、とても楽しかったです。 ──桜田さんが演じるのは、どのような役柄なんでしょう? 桜田 私が演じている矢口「実優」ちゃんは感情が激しくて、シーンごとに、喜び、怒り、悲しみがジェットコースターのようにコロコロ変わるキャラクターだったので、演じるのがすごく楽しかったです。「実優」ちゃんに振り回される周囲のキャラクターたちとの関係性の在り方も、この作品ならではだと思います。 ──撮影中、印象に残ったエピソードや、共演者とのエピソードはありますか? 桜田 めちゃくちゃ暑かったですし、ロケ地が全部遠かったんです。移動距離がかなり長かったので、この夏は『ミタゾノ』に捧げていたな(笑)と感じています。 ──松岡さんや伊野尾さんはどうでした? 桜田 おふたりとは、撮影の合間に本当に他愛もない会話をさせていただきました。生で見る「ミタゾノ」さんは、画面で見る「ミタゾノ」さんより迫力満点です(笑)。大きさ含めて、ぜひとも生で見てほしいって思いました。 ──放送回の中で「実優」さんが活躍するエピソードはあります? 桜田 はい、「実優」ちゃんが活躍するエピソードも、もちろんあります! あと、全編を通してなのですが、「実優」ちゃんは基本的にゲストの方々にツッコミを入れていくタイプなので……ワーッてやっている中に、ポンポンおもしろいツッコミを入れたり、物語が進行する中で瞬時におもしろいツッコミを考えたり、テンポを崩さずにセリフを言う必要がありました。このリズムを崩さないようにしたり、「実優」ちゃんのツッコミが笑いを誘導できるようにバランスを取ることは、今回の撮影で難しい部分でしたね。 ──今回、初めて『家政夫のミタゾノ』を観る方にとっての見どころは? 桜田 やっぱり「ミタゾノ」さんが存在することによって、作品内の謎が次第に明らかにされていく過程が楽しいところです。それと、登場するゲストの方々が、本当にこんなにやっちゃっていいんですか?っていうくらい、もうハチャメチャに作品の中で暴れてくださっているので、その中に、合いの手を入れていく「実優」ちゃんだったりとか。うまくお茶の間に笑いを届ける役割を果たせていればいいなと思います。 ──特に印象に残っているエピソードはあります? 桜田 やっぱり第1話は印象的でした。私自身も初めて『家政夫のミタゾノ』の世界に入った瞬間でしたし。第1話では、ゲストとして松本まりかさんが登場して(演技的に)暴れ回っているパフォーマンスがすごく印象深かったです。さすがだな、と。その空気感をベースに『家政夫のミタゾノ』の世界観へ、私も一気に入り込むことができました。 ──ありがとうございます。各エピソードとも、楽しみです。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。 【インタビュー後編】
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“恐竜推し”女優の山谷花純、3度目の朝ドラ出演への思い
#16 山谷花純(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 山谷花純(やまや・かすみ)。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な出演作は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、映画『フェイクプラスティックプラネット』(2020年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。後編では、最近の仕事からプライベートまでを伺った。 インタビュー【前編】 目次「悪女」を演じて、気づいたこと3回目となる朝ドラへの出演好きな恐竜は、スピノサウルス 「悪女」を演じて、気づいたこと ──最近のお仕事について伺いたいのですが、『親友は悪女』で主演されていましたね。不思議というか、独特な役で……まるで原作からそのまま抜け出てきたような空気感で演じられていました。 山谷 そうですね。本当にみんなから「意地悪」って言われて! 「性格が悪そう」とも(笑)。 『親友は悪女』ではダブル主演ということもあり、役づくりにおいては相手役との関係性を重視しました。もし私ひとりが主演だったら、違ったアプローチをしたかもしれません。でも、ダブル主演という表記がされていたことから、お互いに強く叩かれなければ受けきれない部分もあると考えました。私が弱かったら(「堀江真奈」役を演じる)清水くるみさんの苦しみも立たないだろうなと。相手をかわいそうと思わせなければ、私も活きてこないだろうと思いましたし。それならば、容赦なくやったほうがお互いにとってすごくいいだろうなと思って、けっこうひどいことをしましたね(笑)。 もちろん負けたくない気持ちもありましたが、お芝居は相手のために行うものだと思います。ただ、私がパンッと叩くとき、叩かれた側も痛いですし、叩く手も痛い。だから、撮影中は家に帰ってくると疲れがどっと出てましたね。叩くことの痛みを実感しました。ちょっと時間が経ってから、自分が疲弊していたことに気づく。 ──ダブル主演……なるほど。それは考えたことがありませんでした。 山谷 ある意味、親友関係や、いじめられっ子いじめっ子などの作品は、お互いが弱かったり強かったりしないと成立しないんじゃないかと思います。 ──伝わりにくいかもしれませんが、プロレスのような感じですかね? 山谷 まさにそんな感じです(笑)。格闘技のような感覚。 ──まわりの感想は、どんな感じでしたか? 山谷 親からは、「すごく嫌な子だねぇ」って言われたり、「そんな娘に育てた覚えはないよ」と言われたりしました(笑)。でも「強い役が似合うね」とも言われます。実は、読んだときに共感したのは清水くるみさんが演じた役のほうでした。撮影が終わって時間が経つと、私が演じた「高遠妃乃」と共通する部分も少しずつ見つかってきて、実は承認欲求が強い部分や負けず嫌いな部分が似ているのかもと気づきました。 3回目となる朝ドラへの出演 ──なるほど。次に『らんまん』についても伺わせてください。役柄については、どうですか? 山谷 長屋の住人という設定で、たくさんのキャストがいる中で、自分がどのようなバランスを取って存在感を出していくか、台本を読んだときに考えました。長屋にはワケありの人が多くて(笑)、皆さまざまなものを抱えて十徳長屋にたどり着いたという背景があります。 私が演じる「おゆう」さん(宇佐美ゆう)は、恋愛や異性へのバックボーンを抱えて唇を噛みしめながら生きてきた強い女性です。物語の中で(「おゆう」さんが自らの)過去をオープンにする回があるのですが、そのときには絶対にかわいそうと思われたくないと思いました。脚本家の長田育恵さんは、女性から見てもかっこいいと思える女性を描くのが得意で、素敵な言葉で物語を紡いでくださるので、その世界に恥ずかしくない存在でありたいと思いました。どんなに悲しいことがあっても、私はその過去を抱きしめながら、明日を生きているし、今は笑っているんだよ、それが幸せだと思うんだという気持ちを視聴者に届けたいと思い、役作りに取り組んでいます。地に足をつけて踏ん張ることだけを意識していますが(笑)、自分の中の強い部分や負けず嫌いな部分にも意識を向けながら、役に向き合っていますね。 ──連続テレビ小説(朝ドラ)は何回か経験していると思うのですが、作品によって現場に違いがあったりしますか? 山谷 最初のころの『おひさま』(2011年)の記憶はほとんどなくて……。『あまちゃん』(2013年)の現場のことは、うっすらと覚えています。ただ、そのときは作業着を着ることができてうれしかったという記憶くらいで(笑)。海女(あま)の学校に行って「じぇじぇじぇ!」って言えるみたいな(笑)。海女のダンスを踊るのが大変だったとか、そういう部分的な記憶はありますが、具体的に何が起きたとか、話したことはほとんど覚えていません。 ──では、今回の『らんまん』で、しっかりと朝ドラの現場を経験されたという……。 山谷 そうですね。当時(『おひさま』『あまちゃん』の撮影時)は、まだ中学生や高校生で、お仕事という感覚がそれほど強くありませんでした。好きなことをしているだけで、習い事のような感覚でお芝居をしに行っていました。だからこそ、今になって朝ドラの現場での撮影方法や進行の仕方などを初めて経験するような感じなんです。 ──『らんまん』の撮影中に、共演者の方々とこんなことをしているみたいなことは、何かありますか? 山谷 将棋をやっていましたね、子役の子と。将棋は年代を問わず楽しめるゲームだし、大人も一緒に遊べるんだなと。それと、この作品は明治時代の設定なので、撮影現場に金平糖とかあやとりがあったりするんです。カメラが回っていないところでも、みんなが着物姿で金平糖を食べている様子は素敵です(笑)。渋谷のど真ん中で、スタジオに来るまではセンター街を抜けてくるのに、スタジオに入ったら着物姿になってかつらをかぶり、下駄を履いて……みたいな。で、撮影が終わると、またネオン街を抜けて駅へ向かう。不思議な感覚です。でも、それもこの仕事の楽しさのひとつだと思います。 ──たしかに。楽しそうな現場ですね。『らんまん』での山谷さんのココを見てほしいという、見どころをぜひ。 山谷 人間は失敗を重ねて、今があるんだと思います。その中で、悔いていることがたくさんあると思うんです。でもそれでも乗り越えて、たとえわずかな後悔があったとしても、「悔いていないよ。今が一番楽しいし、あのときに戻れるなら同じ道を選ぶ」と言えるような「おゆう」さんの姿を見てほしいです。 好きな恐竜は、スピノサウルス ──ありがとうございます。プライベートも少し伺いたいのですが、最近ハマっていることは何かありますか? 山谷 最近はインドアを卒業しようと思っています。去年までは映画を観たり、本を読んだり、マンガを読んだりと、すべてを家の中で楽しむことに没頭して、インドアを極めようとしていましたが、さすがにそれは不健康だなと思って。最近は散歩をしたり、コーヒーを片手に外で過ごすこともあります。 あと、もう一度恐竜にハマってみようと思って! 子供のころから恐竜や動物が大好きで、絵本を読んでもらうよりも、図鑑を見せてもらって育ちました。おばあちゃんと一緒に、図鑑の中の恐竜で物語を作る遊びをずっとしていました。最近はそれを思い出して、恐竜の映画やアニメも、改めて楽しんでいます。恐竜展にも行って、子供のころと同じ気持ちになりました。本物の恐竜が存在していたことを再確認して、いつか本物の恐竜に会えるかもしれないと思ったり。久しぶりに仕事を忘れて楽しむ時間を取り戻せて、リフレッシュできたのはとてもよかったです。 ──恐竜展というのは、恐竜の骨が飾られている展示ではなく……。 山谷 いや、飾ってました。本物の。 ──最近よくある、ロボット的に動くやつではなく? 山谷 私、恐竜の骨が好きなんですよ(笑)。恐竜の保存状態が素晴らしく、皮膚の断面なども残っているんです。最近は新種の「ズール」という恐竜が日本に来ていて、それが目玉でした。本当に存在していたことを実感できて、とても楽しかったです。 ──恐竜に関しては、途中で新たな発見があったりしますよね。実はカラフルだったとか。 山谷 そうです、そういう発見もあります。恐竜にヒレがあったのではないかとか、水陸両用だったのではないかとか、爪の長さとか、いろいろ。 ──それを、まわりの方とも話されるんですか? 山谷 ほとんどの人には共感されないですね(笑)。ただ、山谷家では姉妹そろって恐竜が好きだったので、マンモスとか、古代のモノとか……家族の中では盛り上がります。 ──おすすめの恐竜は先ほど言っていた「ズール」? 山谷 いや、私のおすすめはスピノサウルスですね。ゲラノサウルスとライバル関係にあったんですよ。スピノサウルスはティラノサウルスよりもシュッとしていて、ゴツくはないですが、爪が鋭かったり。 ──……肉食? 山谷 肉食です(笑)。この前、恐竜展に行ったときにフィギュアが売られていて、つい買っちゃいそうでしたが、まだ早いかなと思って我慢しました。 ──いずれは……? 山谷 私は熱しやすく冷めやすい性格なので、一瞬で手に入れてしまったら冷めてしまうだろうなと思って、我慢して帰りました(笑)。 ──なるほど。インドアのほうについても伺いたいのですが、WEB(『smart Web』)で映画評の連載(「All IS TRUE」)をされていますよね。ご自分で執筆したり、俳優の吉田鋼太郎さんや、のんさんとの対談をしたりというのは、本職の仕事とは違う経験だと思いますが、実際にやってみてどうですか? 山谷 いやぁ、難しいけど楽しいですね。すごく新しい挑戦です。 ──もともと、執筆などの表現も好きだったりします? 山谷 私は文章を書くのがとても好きで、小さいころから作文が大好きでした。国語のテストの「この作品を読んだ感想を述べよ」という問題でも、私の回答はたいてい独創的すぎて「×」になってしまうんです。感想を述べたのになぜ×をつけるのかと抗議して○をもらったこともあります(笑)。本当に生意気な小学生でした。ただ、文章で表現することは、演技のときには言葉で表せない表情や感情を、文字で表すということにもつながっていて。うれしい気持ちひとつ取っても、どのようにうれしかったのか、何を伝えたいのか、どのような文章にしたら相手がすんなりと気持ちを理解してくれるのか……そういうことを考えて、表現方法を工夫することがとても楽しいです。 ここのところずっと小説を読むことを怠っていたんですが、年明けから読書を復活させて、いろいろな作品を読んでいます。作家さんによって言葉の使い方や文章の組み立て方が違うので、参考にもなります。 ──最近読まれた小説で、これは!という作品はありますか? 山谷 湊かなえさんの『絶唱』(新潮社)です。ちょうどこのあいだ読み終わったんですが、阪神・淡路大震災とトンガ王国という国を絡めた物語で、善意の二面性や被災者への思いなどが描かれています。湊かなえさんは登場人物の視点を分けて描くので、一冊の本でも短編集を読んでいるような感覚になって、私はとても好きですし、素敵だなと思います。 ──山谷さん自身が出演された映画の原作『告白』(双葉社)も読まれたんですね。 山谷 もちろん、大好きです。『告白』も大好きですし、『母性』(新潮社)もとてもおもしろかったです。 ──その『告白』での学生役など、今までいろいろな役を演じてきていますが、今後やってみたい役柄はありますか? 山谷 そうですね、準備してから挑まないといけないような、役職的な役に挑戦してみたいと思っています。今までは患者の役など、お世話をしていただく……何かエピソードを持ってくる役が多かったのですが、ちょっと年齢も上がってきたこともあり、医者や弁護士など、さまざまなゲストを受け止める役に挑戦してみたいと思っています。 何度も病気をして手術を受けた役を演じたことはあるのに、医者として手術着を着たこともないんです。たぶん専門用語もたくさんあって大変だと思うんですけど、しっかりと勉強し準備をして役に入る経験をしたいと思っています。 ──楽しみにしています。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=永田紫織 編集=中野 潤 ************ 山谷花純(やまや・かすみ) 1996年12月26日生まれ。宮城県出身。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な作品は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、ダブル主演を務めた『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。2019年『フェイクプラスティックプラネット』で、マドリード国際映画祭2019「最優秀外国語映画主演女優賞」を受賞。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「自分の中の衝動と向き合い、うまく付き合う」越智康貴のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 フローリストの越智康貴さんは、ショップを経営するほか、イベントや広告などでフラワーアレンジメントを手がけている。花の美しさを引き出す作品だけでなく、写真や文章でも注目を集める越智さんに、フローリストとしての考え方や、サボることの難しさについて聞いた。 越智康貴 おち・やすたか フローリスト/「ディリジェンスパーラー」代表。文化服装学院にてファッションを学んだのち、フローリストの道へ。2011年、ディリジェンスパーラーを開業。ショップ運営のほか、イベントや店舗、雑誌、広告などのフラワーアレンジメントを手がける。また、写真や文章の分野でも活躍している。 「向いてるな」という直感で花の道へ ──服飾系の学校を卒業されたのに、なぜフローリストの道を選ばれたのでしょうか? 越智 服飾の学校を卒業したら資格の専門学校に入学する予定だったんですけど、そのときに花屋でアルバイトをしていたんです。それで、「こっちのほうが向いてるな」と思って、すぐに独立しちゃいました。 当時は「手に職をつけなければ」という焦りがあって。それで、アパレル関係の会社に就職した友達などが、展示会やポップアップストアをやる際に「花を生けてよ」って頼んでくれるようになったこともあり、とにかく失敗してもいいから独立してやってみようと。そのまま10年以上が経ったという感じですね。 ──それでなんとかなるものなんですか? 越智 でも、最初の1年は本当に仕事がなかったし、請求書の作り方とかも何もわからなかったので、とにかく手探りのままなんとか生きてきました。4年ぐらいはショップの一部を間借りして花を売っていたんですけど、外に出る仕事が多くなってきたころに、「表参道ヒルズのコンペに参加しないか」とお声がけいただいて。そのコンペに参加して店を出すことになり、会社化したあたりからちょっと流れが変わってきました。 でも、会社を作ってからの1〜2年も大変でしたけどね。店の固定費が跳ね上がって、人も雇うことになって。人間と働くのがイヤで独立したのに、あれよあれよと人間、人間……ってなっちゃって(笑)。 「花で表現はしない。花は花でいい」 ──外でも花の装飾などをたくさんやられてきたとのことですが、お仕事としてのターニングポイントなどはありますか? 越智 手応えのある仕事をひとつやったというよりは、グラデーションのように変わっていった感じですね。僕、スタイルがどんどん変わっていくんですよ、会社の経営スタイルでも、外から来る仕事でも。だから、いろんな仕事が連鎖していって、実力もついていったし、評価していただけるようにもなっていったと思います。 ──経営スタイルはどう変わっていったのでしょうか。 越智 僕は既存のやり方に則らない方向でしか物事を考えられなくて。インディペンデントな花屋なのに商業施設に入ったのも、そういう店がほとんどなかったからなんです。インディペンデントな小規模の花屋さんって、センスのいいフローリストさんがオーナーで、隠れ家的にやっていることが多かったんですよね。 でも、自分はそういう方法だと長く続かない気がして、店舗に立つ頻度なども減らしていき、店と自分を分離するようになりました。やっぱり店ってお客様が作っていくものというか、自分がいなくてもお客様のニーズに合わせて物事を展開していけば、それがいつの間にかブランドになっていくと思うので。 ──越智さんらしさにこだわらないんですね。 越智 もちろん僕のアイデアもありますが、ルールを壊していく発想が多いので、どうしても定着するのに時間がかかるんですよ。透明の取っ手がついた花を入れるためのバッグがシグネチャー的に有名になったんですけど、それも最初はみんな「何これ?」みたいな反応でしたし。 あと、花屋の特徴として、花を買いに来てくださる方+それを受け取られる方、ふたりのお客様がいるんです。買いに来てくださるお客様は花を贈るお相手のことをわかっているようでわからない場合も多いので、「お相手に合うものを花で用意するとしたら何がいいだろう?」と考えたり、わりと翻訳的な仕事が求められる。それによって自分たちも助けられ、店として成長していったところもあります。 ──外で装飾のお仕事をされる場合、依頼内容や目的などはありますが、もう少し表現する要素が強いかと思います。そこの違いはあるのでしょうか。 越智 それもあまり自分の個性みたいなことは考えてなくて。花で表現したいことも特にないというか、表現媒介として花を使うっていうことをなるべく避けようと思ってるんです。花は花でいい。だから、花屋の場合と同じで、頼んでくれた方が言っていることを翻訳していくイメージですね。 もちろん、それでも自分の視点が反映されて、どうしてもスタイルみたいなものはできてしまいますが、本当はそれも避けたい。自分の持ち味みたいなものには興味がないので、仕入れなんかもスタッフに任せたりします。 「なんか違う」言葉にできない感覚をどう生み出すか ──ひとつのスタイルや自分にこだわらないとのことですが、ずっと花と向き合ってきたことで、植物に対する考えや捉え方などは変わってきていますか? 越智 そうですね。生花もやってるんですけど、その影響は強いです。花の個別性や、「そこにある見えないもの」を重視するようになりました。その場に花が一輪あることで雰囲気が変わる、その雰囲気をそのままパッケージしたいと思ったりするというか。すごく感覚的な話なんですけど、そういった人の感覚的なものに頼るようになってきました。「なんか違う」ことをやっていると、見た人も「この花屋さんはなんか違う」と思ってくれる。そういう言語化できないことを徹底的にやっています。 ──「なんか違う」を生み出せたかどうかが、越智さんの中でOKかどうかの基準になっているとか。 越智 なんか違わないとヤバいっていうか、そこに驚きとか喜びがないとつまらないなと思っていて。一見何も気にならないのに、大きく見ると今までにない印象が生まれるとか、目に見えないものをそこに生じさせるとか、そういうことができないかずっと考えています。まだ全然成功してないんですけど。すごくめんどくさい話してますよね(笑)。 ──いやいや(笑)。でも、なぜそういう考えなのかは気になります。 越智 自分の中に3方向くらいの衝動があって、それぞれが緊張状態にあるんですよ。まずルールに縛られず自由でいること。同時に博愛的であること。そこが自分にとっての喜びにつながっているんですけど、一方で物事を持続したり変えなかったりすることにも安心を感じる。独立したいけど、博愛的でいたい。新しいことをやりたいけど、変化したくない。そういう方向性の違う衝動が自分の中でぐるぐるしてるんですよね。 ──それが仕事や表現にも影響している。 越智 そうですね。サイコロの出目みたいにどんどん変わるので、スタッフも困ってるんですけど、みんな慣れてきて無視するようになりました(笑)。文章や写真の仕事をやっているのも、そういう自分の中のさまざまな衝動を逃すためなんです。花では自分を表現していないし、それだけだと過集中しちゃうので。だから、自分らしさは文章で表現すると決めています。 ──文章ではどんな活動をされているんですか? 越智 仕事として短い話やエッセイを書いたりすることもありますし、個人的な制作として小説を書くこともあります。花や写真では自分を表現したいと思っていないにもかかわらず、そのことにストレスも感じてるんですよね。頼まれた仕事だけが世に出ることで、それが自分らしさだと思われてしまうから。 ──自分を正しく理解してほしい、といった気持ちもあるんですか? 越智 理解してほしいとはあんまり思ってないですね。ただ、愛してほしい。「こんなことを考えてるよ」「こんなことをしたよ」「こんなところに行ったよ」って、愛してほしくて書いてるんだと思います。あと、文章では「こういうことってあるよね」「こういうのはわかるかもしれない」っていう、言葉にできていなかった体験を人と共有したい気持ちもあります。 ──文章について、何かやってみたいことなどはありますか。 越智 いくつか話が溜まってきていて、ちょっとずつ人に読んでもらったりしてるんです。それがもうちょっと溜まったら、本にできるといいですね。 猫は神様が作った最高傑作 ──頭の中も仕事も忙しいと、サボりたくなったりはしませんか? 越智 サボってると安心できない状態になってしまうので、本当にサボれないんですよ。そういうものが必要な人もいることは理解できるんですけど、自分にはちょっと当てはまらないというか。純粋に趣味といえるものもほとんど存在しなくて。美術を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも好きなんですけど、全部「自分だったらこうする」とか、何か制作したい気持ちと切り離せないものなので。 ──仕事や制作と関係のない時間がほとんどない。 越智 でも、猫を飼い始めたんですよ。対象を決めて、そのために時間を使っているぶんには大丈夫なので、猫と遊んだり、猫の世話をしたりしている時間が、自分にとってはサボるということなのかもしれないです。本当に時間貧乏性なので、何かしてないとダメで。 ──猫と戯れている時間だけは、そこから解き放たれているんですね。 越智 友達と遊んでいても、頭の中はめちゃくちゃぐるぐるしてるんです。でも、猫は思考を追う必要がない。猫の性質や動いていることから受け取るものもありますし、めちゃくちゃ猫のことを文章にしたりもしてるんですけど、仕事が絡んでないというか、「かわいい、OK」みたいな感じで。だから、「猫は神様が今まで作ったもので一番完成度が高い」「猫がもたらすものは世界平和だ」と本気で思ってます。 あと、文章を書くこともけっこうリフレッシュになりますね。そのときだけは考えていることが外に出ていくから、デトックス的な感じかもしれないです。しかも、最終的に人に見せることができるのも、自分としてはうれしい。 ──コーヒーを飲むとホッとするとか、そういう些細なレベルのものはないですか? 越智 食べ物も全然興味がないんですよね。先日、京都に5日間いたんですけど、ずっと朝はベローチェでサンドイッチ、昼はベローチェでホットドッグ、夜はカロリーメイトでした。友達とごはんに行くと、ちょっとしたビストロとかに入るじゃないですか。そういうのも一切興味ないんですよ。お酒も飲みますけど、けっこう強いからあまり酔わないし、リラックスすることもなくて。 「動いてるほうがサボれるんです」 ──安らいだり楽しんだりする時間も広くサボりとして伺っているのですが、基本的に活動していたいということなんですかね? 越智 僕の場合、安心、安全みたいなものがエネルギーや闘争心とくっついてしまっていて、活動的であることに安心するんです。だから、物事の持続や、発展・拡大を実感することでリラックスしてる。動いてるほうがサボれるんです。喜びを感じるのはまた別の領域なんですけど。 ──仕事と趣味の境目がなくて、結果としてサボりを必要としていない方もいますが、それともまた違いますね。 越智 母親の影響もあるかもしれません。母子家庭で、母親がずーっと働いてる家だったんですよ。それが安心のかたちを作ってしまったと思いますね。ただ、経理の人が「休むのも仕事だから、本当に休めるときに休んでください」ってすごく言ってくれるので、「なるほど、仕事か」と物理的に休むようにはなりました。 ──ちなみに、睡眠はしっかり取るタイプですか? 越智 睡眠もヤバくて。寝たり起きたりみたいなことが多いですね。猫も平気で起こしてくるから。睡眠にアプローチするアロマオイルにハマったり、いろいろトライしてますけど、なかなか難しい。夜中に目覚めたら、夢で見たものを全部メモしようとしたり、「こういうふうに編集すればいいんだ!」っていきなり動画編集を始めたりしちゃう。「どうせしばらく眠れないから、無理に眠ろうとせずに仕事しよう」って。本当にヤバい(笑)。 ──やっぱり猫と遊ぶしかないですね。 越智 でも、つい「いつか死ぬんだよな……」ってなっちゃう。2匹いるので、今は夜中に追いかけっこ始めて走り回ったりするから「ええ加減にせえ」ってなるんですけど、それだけが心配ですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「前例に捉われず、自分たちが楽しめるかを考える」サリngROCKのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 ちょっと不気味で不思議な作風で、関西の演劇シーンで活躍している劇団「突劇金魚」のサリngROCKさん。最近では映画『BAD LANDS』での怪演も話題になった彼女に、劇団独自のスタイルやルーツ、サボりマインドについて聞いた。 サリngROCK さりんぐろっく 劇作家/演出家。2002年、劇団「突劇金魚」を旗揚げし、大阪を拠点に活動。2008年に第15回OMS戯曲賞大賞、2009年に第9回AAF戯曲賞大賞、2013年に若手演出家コンクール2012優秀賞を受賞。2023年には映画『BAD LANDS』にて俳優として映画デビューし、第78回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。 就活がイヤで劇団旗揚げ…? ──演劇と出合ったのは、高校時代に所属されていたという演劇部ですか? サリngROCK(以下、サリ) そうなんですけど、高校のときはあまり演劇を知らなくて。大学に入学するころに、演劇好きの先輩に連れて行ってもらった「惑星ピスタチオ」を観て衝撃を受けて、小劇場の作品を観るようになったんです。 惑星ピスタチオの舞台って、オブジェみたいな抽象的な舞台美術で、その中で宇宙を表現したりしてたんですよ。体ひとつで人物や物語を想像させられるのがすごいなって。演劇で想像力を掻き立てられるという体験が初めてだったので、すごくびっくりしたのを覚えてます。 ──そこから大学で劇団を立ち上げるようになったきっかけは? サリ 当時の演劇サークルでは、先輩たちが卒業のタイミングで劇団を作っていたので、前例があったんですね。もうちょっと演劇をやりたかったのと、なにより就職活動がめちゃめちゃイヤやったんで(笑)、だったら先輩たちみたいに同級生と劇団をやってみようと。私は演出がやりたかったんですけど、脚本を書く人が誰もいなかったので、自分で脚本も書いたのが最初の公演でしたね。 ──立ち上げ当初から、劇団としてのコンセプトやイメージなどは決まっていたのでしょうか。 サリ 子供のころからかわいいキャラクターより幽霊が好きだったり、ティム・バートン監督の映画が好きだったり、ちょっと不気味だったり、痛々しかったりするものに惹かれるんですよ。だから、そういうドロドロとしたものを入れた、ひと筋縄ではいかない舞台にしようとは思っていました。 ──実際に公演をやってみて、手応えはありましたか? サリ とにかくやりきれたというのが大きくて。やりきることを続ける、初期はそれだけやったと思いますね。若手のための演劇祭にもとにかく出場していたんですけど、そしたら、劇場のスタッフさんが選ぶ賞をもらえて、劇場が使える権利をもらったんです。それが人から認められたほぼ初めての経験だったので、「この方向でいいんや、間違ってなかった」みたいに思えた気がします。 ──そこから公演を打ち続けるなかで、ターニングポイントなどはあったのでしょうか。 サリ 28歳のときに、OMS戯曲賞という関西の劇作家が欲しがる戯曲賞で大賞をいただいたんですよ。そこから観に来る人もガラッと変わって、「どんなもんやねん」って批評的に観られるようになり、「脚本は独特でおもしろいけど、演出と俳優がめちゃめちゃダメや」といったことを言われるようになりました。特に演劇の勉強をしてきたわけではなかったので、やっぱり未熟やったんだと思います。 それで、「何がダメなの?」と思うようになったころ、今も一緒に突劇金魚をやってる山田蟲男くんが劇団に関わるようになったんです。山田くんのほうがわりとロジカルに技術的なことも考えているタイプで、だんだん「だったら、こうしたほうがいいんじゃない?」って提案してくれるようになって。彼の言うことに応えようと、薦められた本を読んだり、作品を観たりしながら技術を身につけていったことで、徐々にできることも増えてきた。そう思えるようになってきたのは、ここ最近の話なんですけど。 活動の軸は「楽しく生きていくこと」 ──劇団を続けることは簡単なことではないと思いますが、ひたすら試行錯誤を続けるうちにここまで来た、という感覚なんですかね? サリ それに近いと思います。技術を身につけて客観的にわかりやすくなった作品は評判もいいんですけど、私独特のヘンテコな要素が薄まると、それはそれで「前のほうがよかった」と言われたりもする。でも、そこは絶対両立できるはずなので、今もヘンテコだけど伝わりやすいラインを探してます。そういう目の前の課題をただやり続けてきたというか。 あと、今は劇団も山田くんとふたりでやってる状態なので、ふたりが納得すればいい。だから続けられてるところもあります。それを「劇団」って言っていいのかよくわからないんですけど。 ──1公演で俳優2チームのWキャストにするといった独自のスタイルも、その結果のひとつなのでしょうか。 サリ 山田くんがけっこう前例に捉われないアイデアを出してくるんです。大人数のキャストを2チームにするのもそうで、私が「そんなんやってる人おらんけど大丈夫なん?」って聞いても、「論理的に考えたら、このほうがうまくいくんや」みたいな。 結果的に、俳優さんがケガや病気になっても中止にしなくて済みますし、関係者が増えれば公演の宣伝をしてくれる人も増えるので、そういう意味でも助かっています。それに2チームあるだけで、俳優さんたちがそれぞれ勝手にがんばってくれるんですよ(笑)。 ──切磋琢磨する状況が生まれるんですね。関西の小劇場というシーンなどはあまり意識されていないんですか? サリ 同世代とは友達感覚はありますけど、横のつながりを意識するようなことはあまりないかもしれません。「アイツら、なんかヘンなことやってんな」って思われてるんじゃないですかね。前例や風習に捉われないという意味では、裏方の仕事など、当たり前に人に頼んでいた仕事についても一から検討して、自分たちでできることはやろうとするから、まわりから変わった目で見られている気がします。 ──劇団としてのあり方にも捉われていない印象ですが、活動のイメージも変わってきているのでしょうか。 サリ ふたりとも40歳を過ぎたので、劇団の核になるものについて改めて話し合うようになったんです。それで、劇団を続けるとか売れるとかじゃなくて、我々ふたりが楽しく生きていくことを軸にしようと話していて。 次はどこどこの劇場でやろうとか、東京にも行かないといけないんじゃないかとか、そういうことは無視しようと。できるだけしんどいことは無理してやらんとこうというか。「自分たちの人生のためになっているか」が基準としてはっきりしてきたので、結果として、私が全然演劇をやらなくなる可能性だってある。そうやって縛られずに考えられるようになったのはいいことやなと思いますね。 映画初出演で感じた、演劇との違い ──最近では映画『BAD LANDS』への出演の話題になりましたね。ただ、最初は監督からのオファーを断られていたそうですが……。 サリ でも、映画の現場はめちゃくちゃ楽しかったです。演劇では、お客さんにちゃんと声を届けるとか、顔が見えるように立つとか、役者+お客さんで演じるんですよ。そこが楽しみのひとつでもあるんですけど、映画では目の前の俳優さんと演技すればいいだけなのがめっちゃ楽しくて。もちろん、映画でもカメラの位置やいろんなことを意識しなければいけないんでしょうけど、初めての映画出演だったんで、そこは今回は無視させていただいて。 ──裏社会に生きる林田というキャラクターを演じる上で意識したことなどはありますか? サリ かたちから入ることってめっちゃ大事だと思うんです。かたちを心がけてたら、中身も寄っていくというか。それで、なるべく瞬きをしないようにしたり、口を半開きにしたり、ちょこまか動かないようにしていました。あとは基本的に演出どおりにやれば成立するものなので、ヘンなことをやろうとしたり、「ちゃんと演じたろう」みたいな欲は出さないようにしました。そういうのって、バレるんですよね。 ──こうした経験をきっかけに、演劇でも自ら演じる機会が増えるような可能性もあるのでしょうか。 サリ あるかもしれないですね。演出をやりながらだと難しいところもあるし、外部の作品に役者として出ることにもあまり興味がないので、どういうかたちかはわかりませんけど。ただ、山田くんとは「二人芝居やりたいね」といった話もしているので、役者としてのウェイトが大きい公演を、ふたりで演出しながらやってみたいとは思ってます。 時間が許すなら、イヤになるまでサボり続ける ──サリngROCKさんは、「サボりたいな」と思ったりすることはありますか? サリ 私の仕事の場合、みんなで仕事してる最中にひとりだけサボって抜け駆けするようなことはないんですけど、やらなきゃいけないことがあるのになかなかできない、みたいなことならめっちゃあります。でも、結局締め切りに間に合うんだったら、それも必要な時間というか。 「スマホを見なきゃもっと仕事が進んだのに」って思うよりも、「私はそこでスマホを見る人間だし、この作品はそんな人間が作ったものなんだ」って思っちゃうというか。そういう達観みたいなものはあるかもしれない。 ──やっぱりサボるときはスマホを見てしまうことが多いんですかね。 サリ そうですね。SNSとか、YouTubeとか。そういうときはもう飽きるまで見続けます。逆にそっちがイヤになるまでやっちゃったほうがいいんじゃないかなって。結局、スマホを見続けられてるってことは、その時間が許されてるってことなんで。ほんまにやんなきゃいけなかったら、やるじゃないですか。 ──そのほうがすっきり切り替えられそうですね。もうちょっとポジティブなサボりというか、アイデアにつながるリフレッシュとしてやっていることはありますか? サリ お風呂に入ってリラックスしたら新しいアイデアが湧く、みたいなことがあまりないので、映画を観たり、偉人たちの戯曲を読んだりしますね。インスピレーションを受けようと思って観たり読んだりするわけじゃないんですけど、人のアイデアに触れることで何か考えたり、受け取ったりすることが多い気がします。 ──より趣味に近いかたちで楽しんでいるものもあるのでしょうか。 サリ これも創作ではありますけど、絵を描くことですかね。時間ができたら絵を描きたい。でき上がったものがパッと一瞬で目に入るのが好きなんですよ。脚本は「完」って書くのが気持ちよくても、一瞬で全部は見られないので。ただ、もうちょっと本格的にやろうとしたら、絵を描く手が止まってしまいそうな気もするんですけど。 ──では、より仕事に関係なくリラックスしたり、楽しんだりできる時間は? サリ スーパーに行って野菜を選んでるときです。別に料理好きなわけじゃないんですけど、「今日は自炊する余裕があるんだ」とか「普通の日を過ごせている」って思えるのがうれしくて。だから掃除でもよくて、余裕を感じられることがうれしいというか。 あと、最近はユニクロのお店に行ったり、サイトを見たりするのがめっちゃ好きで(笑)。新商品が次々出るので、チェックするのが楽しい。好きなブランドと似合う服って違うんだということがようやくわかってきたので、ユニクロでいろいろな服を試してて……ってどうでもいいか(笑)。 ──いやいや(笑)、そういうささやかな楽しみも聞きたいんです。 サリ コラボものとかは大きい店舗にしかないので、わざわざ発売日に自転車で遠い店まで行ってるんですよ。発売日がいっぱいあるっていいですよねぇ。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「サボりたくなる人間だから、短歌を書いているのかもしれない」伊藤紺のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 歌人の伊藤紺さんは、心のどこかにある感情、情景が呼び起こされるような歌で多くの共感や支持を集めている。3作目となる歌集『気がする朝』も反響を呼んでいる伊藤さんに、短歌との出合いや、歌が生まれる過程、サボりと創作などについて聞いた。 伊藤 紺 いとう・こん 歌人。2016年に作歌を始め、2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行する。2022年には、両作を短歌研究社より新装版として同時刊行。最新刊は2023年に発売された第3歌集『気がする朝』(ナナロク社)。 短歌と出合って、すぐに投稿を始めた ──短歌と出合ったのは、大学生のときだそうですね。 伊藤 最初は小学生か中学生のときに教科書で見た俵万智さんの歌だと思うんですけど、そのときは特にすごいと思ったりはしなかったんです。でも、大学4年生の年末に突然俵さんの歌を思い出して、「あれ? なんかわかるかも、いい歌かも」と思って、そのまま本屋さんで俵さんの『サラダ記念日』(河出書房新社)と、あと穂村弘さんの『ラインマーカーズ』(小学館)という歌集を買いました。 ──読んでみてどうでしたか? 伊藤 歌集って400首くらいの歌が載っているので、よくわからないものもあったんですけど、繰り返し読みたくなるほど「いいな」と思える歌もあって。それから短歌や歌人についてネットで調べて、佐藤真由美さんの『プライベート』(集英社)という歌集と出合いました。とっつきやすい言葉でリアルなことが書かれていて、すごくおもしろくて。そのあとすぐ、2016年元旦に短歌を始めました。 ──「おもしろい」から「やってみよう」までが早いですね。なんとなく詠み方などもつかめたのでしょうか。 伊藤 いや、何も考えてなかったです。かわいいイラストを見て自分でも描いてみたくなるのと同じような、軽い感じでしたね。なんでもすぐにやってみるタイプではあったので、なんとなく1首書いてみて。それが2首、3首と書くうちに「いいかも」と思えてきて、母に読んでもらったりしていました。 ──人に見せるのも早いですね(笑)。 伊藤 書いたその日には当時のTwitterにアカウントを作って、短歌を投稿し始めてましたから。ただ、当時は短歌そのものに愛を感じていたというよりは、「わかる/わからない」という基準で判断しているところが大きかったし、まだ趣味にも満たないマイブームっていう感じでしたね。 でも、歌人の枡野浩一(※)さんが早い段階で「いいね」してくださって、「あれ、才能ある……?」みたいな(笑)。枡野さんは特別うれしかったけど、そうでなくても反応をもらえること自体が当時のモチベーションの一部だったと思います。 (※)簡単な現代語で表現されているのに思わず読者が感嘆してしまう「かんたん短歌」を提唱するなど、若い世代の短歌ブームを牽引した歌人。 「若い女性の恋心」を詠んでいるわけではない ──歌人として活動していくようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 伊藤 短歌を真剣に書き続けている人はみんな歌人だと思いますし、「歌人になる」というタイミングはほぼ存在しないと思うんですけど、肩書を「歌人」だけにしたタイミングはなんとなくありました。それまではライターやコピーライターとしても活動していて、特に短歌では食べていけない気がしていたし、そもそも作家は精神的に苦しいだろうから、あんまりなりたいとは思ってなかったんです。 だけど、どんどん短歌だけが調子づいてきて、ほかの仕事とは違う早さでいろんなことが進んでしまって、「これなのか……?」って。今でもたまにコピーを書くことはありますが、「歌人・伊藤紺」として、自分の言葉で書くものだけ、ということにしています。 ──手応えのある歌ができた、といったことでもなく? 伊藤 その時々で「書けてよかったな」と思える歌はちょこちょこあるんですけど、あとから思うとそうでもなかったような気がすることもありますし、これといった歌があったわけではないと思います。ただ、最近はいいと思える打率が上がってきたというか、外さなくなってきたような感覚はありますね。 ──では、周囲の反響による手応えはあったのでしょうか。2019年には私家版(自主制作の書籍)というかたちで最初の歌集『肌に流れる透明な気持ち』を作られていますよね。 伊藤 第1歌集は300冊作ったらすぐ増刷になり、(私家版も扱う)書店にも置いてもらえて、思ったよりも反響があってうれしかったですね。読者の方の解釈を聞いたりするのも新鮮で楽しかった。でも同時に「若い女性の揺れる恋心」みたいなよくある言葉がひとり歩きすることがあって、抵抗もありました。自分はそういうつもりじゃなかったので。 ──ご自身の中ではどんな作品、作風だと認識されていたんですか? 伊藤 当時はあんまりわかってなかったですね。「なんか違う気がするな」っていうだけで。少し成長してある程度見えてきたのは、作品内での他者への特別な感情について、恋とか愛とか友情とかっていう仕分けをあんまり重視していないということです。「情」って言葉が近いのかな。人間でなくてもよくて、動物や植物に胸がきゅうっと動くのも全部一緒でいい。登場人物の設定などを詳細に書かなくてもいいから短歌がおもしろかったのに、「若い女性の恋」だけになっていくことに違和感があったんだと思います。 でもやっぱり「きみ」とか「あなた」って入っていたら恋の歌に見えやすいし、事実、私は「若い女性」だったし、今の話を聞いても「恋だ」と思う人もいるはずで、それはそれでもちろんいいんです。自分にできることは、そういう違和感に向き合って、描きたいものを明確にしていくことなのかなって。 ──そういった変化は第3歌集の『気がする朝』にも反映されているのでしょうか。 伊藤 そうですね。歌を作るにしても、本当に書きたいことか、立ち止まることが増えたように思います。歌の並べ方もそうで、編集の村井(光男)さんがいわゆる恋っぽい歌をひいおじいちゃんの歌の近くに置く案をくれたとき、すごく見え方が変わることに気づいて。それは大きな発見でした。 歌になるのは、自分にとって「真実らしきもの」 ──伊藤さんの場合、短歌はどういう流れで作られているんですか? 伊藤 自分にとっての真実らしいものが見つかると、それが歌になると思うんです。自分にとってはそれが情とか自由、命みたいなものだと思うんですけど。生活しているなかで、そういう真実のかけらみたいなものを見つけたらメモしておきます。短歌を書こうと思ってパソコンに向かったときは、そのメモから広げていくことが多いですね。 まずは短歌にしてみて、それを読んで「こういうことじゃないな」とかって思いながら、改行しては書き直していく。ちょっとずつ軌道を変えていったり、突然思いついた方向にガラッと変えていったりしながら、いいと思えるかたちになるまで書き続けています。 ──考えてみれば当たり前なんですけど、やっぱりパソコンで作るんですね。 伊藤 申し訳ない(笑)。 ──いえいえ、さすがに短冊に筆で書いたりしていないと思いますが、なんとなくアナログなイメージというか思い込みがあったので。改行しながら書き連ねていくことは、思考の痕跡を残すためでもあるのでしょうか。 伊藤 そうですね。行き詰まったら過去に書いたものやメモを見返して、いいと思えた要素を取り込んだりすることもあるので。けっこうしょうもないことも書いたまま残しているから、あとで見るとひどいなって思うこともあるんですけど、いいものだけ残そうとするとカッコつけちゃうんですよね。なんでもいいから書き続けることが大事というか。 ──以前は完成までたどり着けなかったメモが、時を経てかたちになる、といったこともありますか? 伊藤 ありますね。時間が経って自分が成長したことで書けるようになる場合もありますし、時間が空いたことで客観的に見直せるようになる場合もあります。たとえば、「机と宇宙」という言葉の感じが気に入っていても、何がいいのかわかっていないと、下の句にたどり着けなかったりする。でも、時間を置いてから見直すと、そのよさや言葉の結びつきがわかることがあるんです。 ──何かを感じたときにメモしておく習慣があると、自分の感動や感情に意識的になるし、その気持ちを思い出すこともできるんでしょうね。 伊藤 そう思います。なるべく新鮮な状態で言葉にしておくと、言葉を解凍したときに食べられる、みたいな。メモせずにあとから思い出して書こうとしても、感動が言葉にたどり着かなくなることもあるので。 今は小石のような真実が、いつか世間の真実になるかもしれない ──『気がする朝』のあとがきに、短歌を書くことは「日常の些細な喜び」ではなく、「100%の満足」だとあったのが印象的でした。日常の中で「真実らしいもの」を見つけていくこと自体が生きることだという意味でもあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。 伊藤 そうですね。でも、真実らしいことでなくても「お茶がおいしい」とか「木漏れ日がきれい」とかで心が大きく動くこともあるし、そういうふうに楽しく生きてはいける気もする。短歌と生きることがイコールではないです。 『気がする朝』は「このところ鏡に出会うたびそっと髪の長さに満足してる」という歌で始まるのですが、この歌もひとつの真実らしいものが基盤になっていて、その発見が歌になっています。その真実は私がそのへんで拾ってきた小石のような真実なので、きっと理解しない人もいる、というかそっちが多数派でしょうね。逆に自分が多数派だったら書こうとも思わないのかもしれない。 ──そういった気づきから、「自分」というものを発見していく感覚はあるんですか? 伊藤 あまり自分で意識したり実感したりしたことはないんですけど、あるかもしれません。自分の言いたかったことや思ったことを短歌にして、それを何度も読んだりするのって、自己理解にもつながりますしね。 でも、その小石のような真実を「みんなも本当はこうなんじゃない?」ってどこかで思ってるんですよね。100年後、1000年後、世間一般の真実になっているかもしれないって。だから、「自分」を発見するということにもつながっているけど、自分の特異性というよりは、いつかどこかで誰かと共有でき得るものだと思っているかも。 ──みんなが気づいていないだけかもしれない。そんなふうに、伊藤さんの歌によって自分では意識していなかった感情に気づいた、という経験をした読者も多いのではないでしょうか。それって作家としてはうれしいことですよね。 伊藤 よく言われます。すごくうれしいですね。ただ、そう感じてもらうことが短歌を作る目的ではないので、自分にとっての山頂を目指して歩いていたら、給水スポットの人がすごく優しかった、みたいな感じというか。 ──なるほど。では、伊藤さんの中で今後目指したい山のイメージなどはあったりするのでしょうか。 伊藤 書きたいと思ったものを短歌にするという意味では、毎回山頂に登ったような気持ちで作品を作っていて、登りきったところでまだ山頂ではないことに気づいたり、別の山に登ってみたくなったりする感じなんですね。 それで今、ちょっと登りたい山があって、「5・7・5・7・7」ぴったりの定型に帰ってみようかなと思ってるんです。作品作りを積み重ねていくなかで、どんどん定型から外れてきたんですけど、『気がする朝』で自分のやりたいことがすごくできたので、勉強がてら定型に戻ってみたいなって。いざやってみるとどうしても外れてしまうので、今は難しいと思いながら向き合っているところです。 「ずっとサボってゲームしてます」 ──伊藤さんは、作業をしなくてはいけないと思いつつ、サボってしまうようなことはありますか? 伊藤 ずっとサボってますね。ゲームしちゃうんです。最近は、落ちてくる数字を小さくまとめていくゲームとか、ブロックをそろえて王様を助けてあげるゲームとか。サボりっていうか、気がつくと8時間くらいやっちゃうこともあります。作品を作ったり、本にしているときが一番逃げやすいので、『気がする朝』を出したあとはそんなにやらなくなったんですけど。 ──やっぱり、やらなきゃいけないことがあるからこそ、サボりも発生するんですよね。 伊藤 そうですね。ゲームをやることが楽しいわけじゃないのに、サボってる間は楽しくなるんですよ。でも、もうちょっとちゃんとしたサボりというか、スーパーで買い物するついでに散歩したり、喫茶店で本を読んだりしてリフレッシュすることもあります。 ──リフレッシュを挟むことで、作業が進展するようなこともありますか? 伊藤 けっこうあります。散歩から帰ったときにメモしたいようなことが出てきたり、行き詰まっていた原稿がはかどるようになったり。5日くらい外出しないこともあるんですけど、そんなときも家事をしたり、お風呂に入ったり、何か食べたり、そういうことをちょこちょこ挟んだほうが調子は出やすいですね。 ──ずっと家にいられるタイプなんですね。1時間おきとかにできそうな、気軽な息抜きもあったりしますか? 伊藤 詩集を読んだりしますね。好きな1節とか1ページだけ読んで本を閉じると、「いかんいかん」って書きたい気持ちが戻ってくることがあります。小説だと戻れなくなっちゃうので、つまみ読みできるような詩集がいいんです。Instagramとかも見ますけど、猫の動画をずっと見ちゃったりして、「いかんいかん」を20回くらい繰り返すことになるので……。 ──戻れない感じ、すごくわかります。そういうブレを断ち切って、ストイックに作品に向き合いたいと思ったりすることはあるのでしょうか。 伊藤 うーん……ありますけど、たぶんそういうことができる人間だったら、短歌を書いてないんじゃないかなって思います。もっとお金がいっぱいもらえる仕事に就いたほうがよさそうじゃないですか。もちろん、芸術や文化を愛している人の中にもストイックに動き続けられる人は山ほどいるわけですけど、自分の場合は短歌と出合う前にやりたかったことが本当はたくさんあった気がするので、そのうちのどれかをしているんじゃないかな。そうじゃないからここに来てしまった感じがします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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人生が変わりかけた眩しい夏の夜(やーこ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 やーこ 日常に転がるちょっとしたトラブルを、ドライブ感あふれる筆致でユーモアたっぷりに書き、Xやnote、ブログで配信中。2023年5月に『猫の診察で思いがけないすれ違いの末、みんな小刻みに震えました』(KADOKAWA)でデビュー。また、2024年4月に2冊目となる著書『電車で不思議なことによく遭遇して、みんな小刻みに震えました』 (KADOKAWA)を発売。 X:@yalalalalalala ブログ『やーこばなし』:https://yalalalalalala.livedoor.blog 初夏の夜。 私は蛍を見に行けなかったことを偲び、ボタン式のナイトライトを臀部に装着し、自宅で蛍の気分を味わっていた。 すると友人から、今から我が家に「お土産を渡しに行ってもよいか」との連絡が入った。 せっかくなので草陰に止まる蛍のように家の門の陰に潜み、友人が我が家のインターホン近辺に到達した瞬間に姿を現すことによって、私という名の蛍の光を披露することにした。 タイミングを見計らい、私は光を見せつけるように尻を構えた。 門から道へ蛍が浮遊する様をイメージし舞うと、若干低めの叫び声が響いた。 友人にしては声が低すぎると、不審に思い振り向くと、友人は我が家からまだ2メートルほど遠くにおり、代わりに私の近くには春物のコートを羽織り、下半身に何も装着していないオヤジが佇んでいた。 友人ではなく、半裸の男に発光する尻を見せつけてしまった。 蛍ならばメスの蛍が寄ってくるが、私が人間であったために蛍も人類も寄ってこぬ、孤独な尻光野郎となった。 友人だと信じて疑わなかったところに半裸のオヤジが出てくるという、予想と現実のあまりの振り幅に私は脳の処理が追いつかなかった。 露出狂のほうも突然民家から尻を発光させる不気味な人間が現れるなどとは思っておらず、我々は出会ったポージングのまま静止した。 夏の訪れを想わせる夜風が草花の香りを我々に届けるなか、私は露出狂に尻の光をお届けしている。 露出狂は自身も不審者であるくせに、まるで自分だけが不審者に出会ったかのような顔をしていた。 ハイジャック犯が、別のハイジャック犯と同じ飛行機に乗り合わせる確率は極めて低いという。 では、我々の出会いは何%の確率で舞い降りたのだろうか。 私と露出狂は運命的な出会いを果たした。 すると、コンビニの袋を下げた近所の男子大学生が通りかかり 「うわっ……」 と、小さく声を漏らした。 しかし、大学生はコートを羽織る露出狂の背後から声を発しているため、明らかに露出狂の局部ではなく、私の臀部に対し声を上げている。 声を上げる相手が違うのではないだろうか。 あちらは局部に対し布がないが、こちらは臀部に対し布がある。さらにライトで装甲されている。 間違っても人様の網膜に私の生肌が直撃することはない、するのは尻の光だけである。 なによりも、布がなく出ている者と、布があり光っている者とでは、明らかに前者のほうが重罪である。 赤子が他人と母親に名を呼ばれれば、母親のもとへ向かうことが必然であるように、警官も露出狂と私の間では露出狂のほうへ足を進めることであろう。 しかし、角度的に私の尻の発光しか見えていないこの現状は非常に分が悪いものであった。 せめて、佇まいだけでも正そうと、私は尻を少々突き出したポージングから態勢を立て直した。 その際、布と尻に圧迫されてライトが押され、 カチッという小気味よい音とともに私の尻の光が白から紫に変色した。 何度か押すと色が変わる仕様であった。 友人は私の尻の変色がツボに触れ、苦しんでいた。 このままでは、露出狂というわかりやすい変質者がいるにもかかわらず、私こそが変色する尻を持つ変質者となってしまう。 (※当時の再現写真) この男が露出狂であることをまず知っていただきたい。 あわよくば、それで私の印象を薄めたい。 考えた末 「この人、露出狂なんですよ」 と言葉を発したが、どこか言い訳がましい雰囲気が漂った。 こうなれば、論より証拠である。 私は不審者認定されたくない一心で 「ちょっと、うしろに振り返ってもらえますか?」 と、露出狂に申し入れた。 露出狂はこちらを見つめ、何を言われているのか理解が追いつかないといった表情をして停止した。 なんでもいいからとりあえずうしろへ振り返ってほしい。 しかし数秒したのち、露出狂は私を避けるように大きく迂回し、走り出した。 この半裸の男は、この中で一番どこに出しても間違いのない変質者であるというのに、背後の者たちからの己の印象だけを穢れなきままに走り去る気である。 そんな生半可な気持ちで露出狂など務まるのであろうか。 そこはかとなく裏切られた気持ちさえ生じている。 お前は明らかにこちら側である。 私は反射的に「捕まえて大学生に証拠を見せなければ」という謎の使命感に駆られ走り出した。 露出狂の背中を追いかける私の臀部で、ライトが何度か押されるような感触があった。 おそらく走ったことで再び布に圧迫され、尻の色が変色していたことだろう。 しかし、よく考えれば、捕まえたところで大学生も露出狂の露出という景観を害するものは見たくもなければ、私のほうも漁師が釣り上げた大魚の感覚で露出狂を見せつければ、なんらかの罪に問われそうである。 冷静になりすぐさま帰ろうと振り向くと、家の前で友人が待っていた。 大学生は友人に 「この地域、本当に変な人多いんで、気をつけてくださいね」 と、言葉を残し去っていったという。 その変人の中に自分が入っていないことを祈るばかりである。 露出狂の証明が叶わなかった今、通報などされれば警官と長く会話をすることになったのは私であったことだろう。 私は見に行けなかった蛍たちに思いを馳せた。 蛍は淡い光で、今年も命をつないでいるのだろう。 私は尻の光で、首の皮一枚でつながっている。 私の忘れられぬ夜のひとつとなった。 文・写真=やーこ 編集=宇田川佳奈枝
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思いを馳せるふるさとの夜(山根千佳)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 山根千佳(やまね・ちか) 1995年12月12日生まれ、島取県出身。「第37回ホリプロタレントスカウトキャラバン」ファイナリストとなり、デビュー。両親の影響で幼少期から相撲を見て育ち、自身も相撲好きとなる。相撲好き女性「スー女」の第一人者として、相撲関連の番組やイベントにも多数出演。また、相撲への愛と知識が詰まったコラムの連載や、音声配信なども精力的に行う。相撲を筆頭に駅伝、競馬、アイドル、怪獣などさまざまなカルチャーにも精通。5月9日に自身初となる書籍『山根千佳の大相撲の歩き方』(マイクロマガジン社)を発売。 Instagram:@ yamane_chika X:@yamane_chika 芸能のお仕事を始めて12年目。 東京での生活にもだいぶ慣れ、楽しく生活する毎日。 けれど、時折思い出すのは、やっぱりふるさとの鳥取のこと。 数えきれないくらい、たくさんの思い出が詰まっている場所。 中でも忘れられないのが、鳥取のレギュラー番組のMCをさせていただくことになり、新番組がスタートした、2年前のあの夜。 その日の夜は、共演者の方、スタッフさんたちと懇親会があった。 芸能を始めたころからの目標だった、ふるさとでのレギュラー番組が始まったこと(しかも私がMCで!)が、本当に、本当に、うれしくて、そして感慨深く、忘れられない一夜となった。 私も、まわりの人たちも、世界中の多くの人たちを苦しめたコロナ禍が、ようやく落ち着いていたこともあり、お酒も解禁! デビュー当時から二人三脚でがんばってきた、同郷のスタイリストさんとも喜びを分かち合いながら乾杯をすることができた。 しかも地元のおいしいお酒で! 飲まずにはいられない(笑)。 番組のスタッフさんも、山陰(鳥取、島根)出身の方がほとんどで、方言で話せることがとてもうれしかったー! 標準語とはまた違う、懐かしいイントネーションから、「〜けん」、「〜だがん」、「〜だへん」など語尾が変わっとったり。 上京してから、苦労して直した方言を、当たり前に使える喜びが込み上げてきて、ほわっと温かい気持ちになる。 そして、注文した山陰の海鮮はどれも本当においしい〜! 改めて日本海側に生まれて幸せだと噛みしめる。海鮮のみならず、全国的に有名な大山鶏の料理も絶品。東京でも大山鶏の料理を見かけては食べるようにしているが、ふるさとに帰ってきて、地のもの、ソウルフードを食べられることがなによりうれしい(しかも圧倒的に安い!)。 ブランド鶏なのできっと同じものなのに、食べる場所が違うだけで、一緒に食べる人が違うだけで、こんなにも味がおいしく変わるとは。 飛び交う方言とおいしいお酒とソウルフード。 これで地元トークに花が咲かないというのは無理がある。「同窓会はどこでやった?」「あのホテル会場か! 同じだ!」などなど。 私も学生時代は「あそこのイオンにいつも遊びに行ってたなぁ」などと思いを馳せてみると、プリクラはみんな同じ場所で撮ってたり、フードコートに行くと必ず同じ学校の人に出くわしたり、細かい地元あるあるが次々とあふれ出てきて……。 それから、鳥取で開催される「がいな祭」という大きなお祭りの話に。地元の人たちは必ず誰でも一度は行ったことのある、歴史ある大きな規模のお祭り。私も毎年行くのが恒例だった。 幼いころは、祖母が浴衣の着つけをしてくれて、母にかわいい髪型にしてもらい、特別な気持ちで打ち上げ花火を見に行って、はぐれないようにと父が手をつないでくれたのも鮮やかに思い出すことができる。 小学生からは、ジャズヒップホップダンスを習い始めていた私。この「がいな祭」ではかなり気合いの入った特設ステージが設けられ、たくさんのダンスチームが出演する。小学生から芸能活動を始める高校生までの数年間は、幼なじみと同じ教室に通い、ダンスに熱中していた。 いまだにダンスを発表したステージのある場所を通ると、楽しく踊っていたあのころの思い出が一気によみがえってくる。このお仕事をしていても、ダンスを習っていてよかったなぁと思うことが多い。たとえば人前で何かを発表したり、ステージに立ったりを堂々とできること。表現するということがなんとなく体験できたこと。習わせてくれた両親に感謝したい。 少し話はそれてしまいましたが、このレギュラー番組がきっかけとなり、地元でのほかのお仕事もさせていただく機会が増えてきた。 鳥取県は夜空に輝く星がとてもキレイで、「星取県」ともいわれている。その夜空とともにムービーの撮影ができたこと。これも忘れられない夜となり、とっても印象に残っている。 そうだ! 先日は高校のときの同級生と飲みに繰り出し、3軒ほど(!)ハシゴ酒した夜も強烈だった(笑)。 もう卒業して10年ほど経ちますが、出会ったころと何も変わっていない気がするんだよなぁ。時が止まった感じというのだろうか? みんなそれぞれお仕事をがんばっていたり、子育てしていたり、県外に出ていたり。今の生活環境はバラバラなはずなのに、いったん集まってしまうと、あの当時と同じ空気感に巻き戻っていく。 高校1年生でたまたま同じクラスになって、10年経ってもこうして当時のまま気軽に集まれる友人がいるって素敵なことだな。なんの気を遣うこともなく、大人になってもなんでも話せる人って貴重だなとつくづく思う。過去にすがりつくようなことはせず、自分の意見をしっかり持っていて、ポジティブな子しかいないので、本当に恵まれている。毎回集まる夜は楽しくって、時間があっという間に過ぎていく。 うれしいことに最近は、お店の中やみんなで歩いている帰り道、私に気づいて話しかけてくださる方もいらっしゃって。とーーっても温かい言葉をかけてくださる方ばかりで心がホッとする。そんなやりとりを誇らしそうにしながら見守ってくれる友人の表情にもまた心が温まる。 なんて素敵な地元なんだろう。 こうして声をかけてくださる方がいることで、またがんばろう!と思えてくる。 そして、そうこうしていると、そんなに大きな街ではないので、当時の学校の先生方にもばったり会ったりもして。 「ふるさとのみんなが応援してくれているんだ!」と帰るたびにパワーアップした気持ちで東京に戻ってこられる。 地元でのレギュラー番組が始まる前までは、年末年始やお盆のタイミングの、年に1、2回しか帰る機会がなく、こうして定期的に帰省もできて、本当にありがたい気持ちでいっぱいになる。 両親や愛犬とだらだら実家で過ごす何気ない夜も大好き。みんなで夜ご飯を食べながら、テレビで大相撲中継を観て、あーだこーだ言う時間。ごひいき力士が勝つとみんなで喜び、負けるとみんなでがっかり。私の家族はみんな相撲に詳しく、話していて本当に楽しいし、学びにもなる。 相撲を観終わるころには、夏は虫の声がよく聴こえてくる。東京では聴けない、極上のBGMだ。テレビを消して、素敵なBGMを楽しみながら、蚊取り線香をつけて、スイカを頬張るのも毎年恒例。いつも扇風機の前は愛犬の「むさしまる」が陣取っている。夏の夜に扇風機と柴犬、なんとも微笑ましい光景です。「これが"チルアウト"ということか」と、ひとりほくそ笑む。普段はひとり暮らしなので、地元で過ごす夜は最高の時間。 充実した時間を過ごし、また東京に戻る日々。 鳥取はまだ新幹線が通っていないから飛行機移動が基本なのだが、人生で初めて飛行機に乗ったのも、このお仕事を始めるきっかけとなったホリプロタレントスカウトキャラバンの合宿審査に向かうとき。何年経っても空港に着き、飛行機に乗り、窓から空を見ると「よし! 東京に行ってがんばろう!」と気合いが入る。 どんどん小さくなっていくふるさとを眺めては、最初は心細くなったときもあったけれど、今では飛行機の窓から見える夜空は、私の心を強く昂らせ、わくわくさせてくれる宝物だ。実はもともと飛行機は大の苦手なんですが(笑)、12年も経つと人は慣れるものなんだなぁ。 よし……! またがんばるか! 文・写真=山根千佳 編集=宇田川佳奈枝
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自分の好きな場所にいたかった。小さな書店で過ごす夜(石山蓮華)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 石山蓮華(いしやま・れんげ) 1992年、埼玉県出身。電線愛好家・文筆家・俳優。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)や、映画、舞台に出演。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)。TBSラジオで毎週月曜〜木曜14時から放送中の『こねくと』にメインパーソナリティとして出演中。 早稲田にある小さな書店の閉店時間は24時だった。 算数のできない私がレジ締めの係になると、同じシフトの人はいつまでも帰れない。 バイトの先輩である学生さんに「石山さん、そろそろできましたかー?」と言われ、「できてる気がするんですが……ちょっとエラーが出てしまって……」と、まじめにやっている感だけでも受け取ってほしく、もごもご言った。私だって帰りたかった。 20代半ばのころ、同棲相手に家賃を払ってもらっていた。レギュラーのお仕事でもらえるギャラを所属事務所と分配し、手元に入る金額をロケの拘束時間で時給換算してみると、最低賃金は豪快に割っている。行き倒れにはならないが、ひとり暮らしは見込めない私の稼ぎ。それでも外で酒を飲み、悩んで悩んで服を買い、収支の合わない暮らしをしていた。 同じ番組に出演している華のある女の子たちはテレビに出ているときもそうでないときも小綺麗な格好をして、デパートで売っている化粧品をそろえ、カフェでは1500円のプレートに700円のスムージーをためらわず頼んだ。 私は借り物の衣装を着ていないときは、古着屋で買った服をよく着ていた。テレビに出るときにしか使わない化粧下地を買うのが面倒だったので、テレビ局のメイク室でいつも同じ下地を借りていた。カフェでブレンドコーヒーを頼むのは、おかわり無料だからだった。マネージャーさんからは、苦学生のようだと言われていた。 同じ仕事をしているはずなのに、まわりの人はなぜ優雅なのか、私にも優しいのか、こんなにキレイなのか、近くで見ても不思議でうらやましく、どうしたって同化できない。 「れんちゃんは個性的だね」と言われても、私が選べるものを選んだらこうなっていた。 本が好きな人は、本も書店も書店員のこともかっこいいと思っていると、私は思っている。 この本が欲しいんですと在庫を聞くと、その本がある棚まで案内してくれる。こんなにたくさん本が並んでいるのに、どこにどの本があるかすぐわかる。きっと新刊本も名作本もちゃんと読んでいるのだろう。優雅な女の子になるのは、仕事で頼りになる先輩の実家が田園調布にあると聞いたときからあきらめていたが、私もできる範囲でかっこいい人になりたい。それに、アルバイトでいいから自分が好きな場所にいたかった。 近所の書店でバイト募集の貼り紙を見つけ、いそいそと電話をかけ、面接を受けた。夜遅いシフトに入ればちょっと時給が上がるし、日中はロケやオーディションにも行ける。店に入ってすぐ右隅に設置されたレジの前に立ち、本に挟まれた短冊形の売上スリップの整理をしたり、レジ打ちをしたり、棚の整理をしたりする書店員さんにずっと憧れていた。バイトを辞めて何年も経つ今だって、書店員さんに憧れがある。 店長もバイトの同僚もみな親切で、少しずつ仕事も覚え、自信を持って店に立てるようになった。お客さんがいないときは、文庫やハードカバーなどにかける紙製のブックカバーを折る。レジ横の黒いペン立てにはブックカバーを折るときに使うためのマーカーペンが差してあった。このマーカーを麺棒のようにスライドさせると、不器用な私もまっすぐな折り目をつけられる。そのカバーには赤いインクで象の絵が印刷されていて、店に並んだ深緑色の棚と補色になっているのがおしゃれで気に入っていた。 月に何時間かのささやかなシフトではあったが、そのバイト代によって店で本を買い、近所の喫茶店でコーヒーを飲むというささやかな貴族暮らしが楽しめた。この貴族は、鳥貴族にいる貴族である。 調子に乗って口座のお金をすべて使い、奨学金の引き落としができずに催促の電話がかかってくることもあった。今年やっと返済できたけれど、借金をせずに大学まで行ける国でやっていきたかった。 木曜の夜、いつもひとりでしゃべりながら雑誌のコーナーを眺めていく人、マンガの新刊を発売日に買っていく人、親と一緒に付録いっぱいの雑誌を持ってくる子、私が読んだことのない翻訳小説を買っていく人。街の本屋にはいろいろな人が来る。本屋が好きだし、本屋に来る人も好きだった。お客さんが買った本を見て「私もこの小説、好きですよ」と思う。口に出すのはやりすぎなので、教わったとおり接客する。 ある日、お客さんにささいなことで怒鳴られた。ほとんど同い年くらいに見えるその人は、私が謝っても「謝り方が悪い」とスマホのレンズを向け、さらに謝罪を要求した。私は頭を下げながら、顔が熱くなり、手は冷たく、足は震えた。内線で呼び出された店長と深々謝り、その人は帰っていった。 涙が出てもシフトは続く。そのままレジに立っていたら、店中のお客さんが本やボールペンなどを買って「大変だったね」と次々に声をかけてくれ、私はまた深々と頭を下げた。「私は池袋のジュンク堂で働いているのでわかります。いろんな人がいますから」と伝えてくれた人は本を買ったあとにすぐまた店に来て、「プレゼントです」と包装紙に包まれた分厚い本をくれた。聖書をもらったのは、あとにも先にもこの一度きりだ。 閉店時間の少し前に、同じシフトのバイトさんが有線放送を「蛍の光」に変える。 黒いノートパソコンの画面に、レジ締め用のエクセルが表示されている。その日の売り上げを記入する大事な作業。まさに帳尻合わせだ。 私は算数が苦手だ。年下の先輩バイトさんは人並みの計算能力があり、私より早く正答が出せる。代わりにやってくれればいいのにと思ってはいるが、口には出せない。私がレジ締め係になってしまっているので、これはやるまで帰れない。それに、この作業自体はもう何度も教えてもらっていて、覚えられない私がいけないのだという申し訳なさがある。 その日の閉店時にレジにあるお札や硬貨の枚数を数えることそのものは案外難しくはない。細長いコインサイズのくぼみに硬貨をはめ込んでいくだけで、何枚分重なっているかを教えてくれる親切な道具があるからだ。 並んだ表のコマをにらみ、数を数え、電卓で計算し、これっぽい、きっとかなりの確率でこれだという数字を入れ、エラーが出て、計算し直し、また数字を入れてみて、エラーが出なければよしとして帰る。 バックヤードで待っている先輩に「遅くなってすみません」と謝りながら、店の電気を消し、鍵を閉め、閉じかけたシャッターの隙間をくぐって外へ出る。この時間、開いている店はあまりない。お疲れ様でしたと声をかけ、坂道をのぼって家へ帰った。 文・写真=石山蓮華 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
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偶然で必然の出会い、渋谷に響くひとつの歌声──島田隆一『ドコニモイケナイ』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 『ドコニモイケナイ』は2012年に公開され、第53回日本映画監督協会新人賞を受賞したドキュメンタリー映画である。 物語は2001年の渋谷から始まる。1996年生まれの自分には当時の渋谷の空気は想像でしかわからないが、ギャルブームやメディアの注目もあり若者のファッション・トレンドの街だったという。本作のパンフレットによるとゼロ年代初期の渋谷は「行き場のない若者が集まっては、ただひたすらにたむろしている場所」であったと書いてある。今でいう「トー横(※新宿の歌舞伎町にある東宝ビル横のこと)」のような位置づけだったのだろうか。 監督の島田隆一は2001年当時、映画専門学校に通う学生だった。本作は当初、専門学校の実習課題として撮影され始めたものだった。ほかの学生より大人しく、課題を探しあぐねていた島田に講師が「渋谷へでも行ってみたら?」と提案したことがきっかけだった。 2001年10月23日、ひしめく若者たちの中で島田とスタッフたちはひとりの女性と出会う。あまり上手とはいえない声で歌う彼女は、佐賀からヒッチハイクでやってきたストリートミュージシャンの吉村妃里(よしむら・ひさと/当時19歳)であった。 「元気で行こう 精一杯の力を出して 元気で行こう 無理しなくて いい 元気で行こう 気楽な気持ちでリラックスして」 そう歌う彼女に惹かれた島田とスタッフたちは彼女を追いかけて撮影をすることに決める。 (C)JyaJya Films 妃里は、新宿で出会った芸能事務所の社長という人間からスカウトをされ、事務所が借りたウィークリーマンションに住むようになる(最終的には妃里は「貧血」を理由にわずか1カ月ほどで切り捨てられ、住む場所を失ってしまう)。そのあと路上で知り合った友人・幸香の家に居候したりと妃里を取り巻く環境が不安定に変わっていくなか、2001年12月13日、島田らスタッフの元に幸香から連絡が届く。 「妃里の様子がおかしい」 妃里は統合失調症を発症していた。 翌々日の12月15日には妃里は都内の病院に緊急入院し、翌年3月には故郷である佐賀の病院に転院することとなる。こうして映画の撮影は中断され、妃里を映したテープは放置されたまま、島田らスタッフは映画専門学校を卒業してしまう。 私個人の話で恐縮だが、私の祖母は私が物心ついたころ、すでに統合失調症を患っていた(母から聞いた話だと、母が小学生のころにはすでに発症していたという)。 当時はまだ統合失調症という病名に改称されて日も浅かったからか、母からは「ばーちゃんは精神分裂病だから」と言われて育った。家族で帰省したときには祖母が私を罵倒することもあったようだから、「精神分裂病だから、ばーちゃんの言うことは気にしなくていいよ」という母から子への思いやりから出ていた言葉だと思う。私の中の祖母の記憶は、誰かに怒っているか、上のほうの何もない一点を見つめて何かぶつぶつと話している姿しかない。 母には「神様と話してるらしいよ」と教えられた。祖母は歩くことも難しかったので、母は祖母を風呂に入れることにすごく苦労していたような記憶がある。もちろん、統合失調症の症状はさまざまで、これは私の祖母の話でしかないので主語を大きくするつもりはない。 私は、発症する前の祖母を知らないので祖母とはそういうものだと思っていたし、祖母の話す言葉は方言がきつかったこともあり罵倒されても特別傷つくということはなかったが、母が「母さんも発症したらどうしよう」、「遺伝かもだから」とひどく心配していたのは今でも強く印象に残っている(実際、遺伝的要素は示唆されているものの、未だ解明はされていないようだ)。 母は発症前の祖母を知っている。母にとって統合失調症は「突然、自分にも起こってしまうかもしれないこと」なのだと思う。私もそうなんだろうな、と思う。人間は現実に物語性を見出したくなってしまうが、それは必ずしも正しくない。 本作のパンフレットでも精神科医の春日武彦は統合失調症の発症について「率直に述べるなら、運が悪かったとしか表現できない」(『ドコニモイケナイ』パンフレットより引用)と述べている。 監督である島田は語る。 「吉村妃里を統合失調症にまで追い込んだのは、カメラを回し続けた自分の責任ではないだろうか」 (C)JyaJya Films 以前、『監督失格』について書いた記事でも引用したが『ゆきゆきて、神軍』の監督である原一男は「ドキュメンタリーをやる人間は畳の上で死ねない」と述べている。 『監督失格』の監督である平野勝之も「人の死で金儲けしていると言われるかもしれない」と心配していた。 (文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ #1:https://tvablog.tv-asahi.co.jp/reading/logirl/2894/) 『監督失格』も『ドコニモイケナイ』も不安定な、美しい女性とそれに惹かれた監督がカメラを通してコミュニケーションを取る、カメラを通してしかコミュニケーションを取れない、という構造で物語が進む。もちろん取り巻く状況や彼女らのキャラクターはまったく違うものなので単純に比較はできないが『監督失格』の被写体である林由美香は売れっ子のAV女優だ。どんな激しい場面でも撮りなさいと平野に言った。監督である平野もプロのAV監督であるから、悩みながらも彼女の言葉に従った。しかし『ドコニモイケナイ』の被写体である吉村妃里は歌手志望の19歳の若者でしかない。監督である島田も、当時20歳そこらの映画学校の学生だ。 本作の後半では、撮影を中断してから9年後、佐賀で暮らす妃里が描かれている。 妃里が佐賀に渡り撮影を中断してから島田やスタッフはそれぞれの道を歩んでいた。島田も起業用のPR映像の制作に携わるなど映画業界で仕事をするようになる。ただ、そうしている間にも島田の胸にはしこりのように妃里さんを映した映像のことが残っており、細々と編集作業もしていたという。2007年、冒頭で島田に「渋谷へでも行ってみたら?」と提案した映画学校の講師から「あれをまとめてみないか」と電話を受ける。講師から「現在の吉村妃里を描くべきだ」という言葉もあり、悩みながらも島田はカメラを持って現在の妃里に会いにいく。 (C)JyaJya Films そこでは、母とふたりで暮らしながらNPO法人・鹿陽会チャレンジド支援センター「ザ・鹿島」に通っている妃里の姿があった。そこで軽作業(服をたたんでビニール袋に詰めるなどの単純作業)にも取り組んでいる。 2001年との渋谷とはあまりにも正反対の妃里の故郷の風景は、一種のやるせなさというか切なさのようなものを感じさせる。そして同時に映画を完成させるために、その対比を映さなければならないというドキュメンタリー監督という職業の業も感じさせられる。物語の終盤、彼女が博多の駅で再び「元気で行こう」を歌うシーンがある。道ゆく人は誰も彼女とコミュニケーションを取ろうとしない。 ただ、切なく感じてしまうというのも現実に物語性を求めてしまう鑑賞者である私たちの悪癖でしかなく、妃里の人生も島田の人生も続いているのだ。妃里は本作についてこう語る。 「50歳くらいになったら、この作品を持って講演をしたいな」 島田がこの作品を撮ることができたのはある意味“偶然”なのだろうと思う。当時の島田にとっては悪い偶然だったのだろうと思うし、自責の念を抱えていたことも窺える。だが、その映像を『ドコニモイケナイ』という一本の映画にまとめるに至ったのは、島田のドキュメンタリー監督としての性なのだと思う。 デリケートな題材であるがゆえ、すべての人が観るべきだとは思わない。だが、少なくとも私はこの映画を観ることができてよかったと思う。公開10周年を記念して再上映をしてくれたポレポレ東中野にも感謝でいっぱいだ。 この映画を必要とする人に届いてくれたらいいなと思う。そして願わくば、ふたりにとってもいいものであったらいいな、と思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)の新連載がスタート。 (C)JyaJya Films 出演 吉村妃里 吉村はる子 撮影・録音 朝妻雅裕 島田隆一 城阪雄一郎 佐賀編撮影 山内大堂 編集 辻井潔 音楽 AMADORI モリヒデオミ 宣伝 酒井慧 配給 JyaJya Films 製作 JyaJya Films 監督 島田隆一
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
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#19スピンオフ「ドラマ監督あるある」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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#18スピンオフ「髪を切るタイミング」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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#17スピンオフ「仕事が捗る場所ベスト3」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
でんぱ組.incの「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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n.SSign日本ファンミで公開収録!現場で感じたメンバーの絆とファンの優しさ|「林美桜のK-POP沼ガール」第17回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 『動画、はじめてみました』というテレビ朝日公式YouTubeチャンネルの中で、K-POP評論家の古家正亨さんと私が、K-POPに関するさまざまな内容をお届けしている『動はじK-POP部』。 今年1月に『動はじK-POP学校』に進化し、 今回、なんとn.SSign(エンサイン/*1)さんのファンミーティングにおじゃまして 公開収録させていただきました!! こんな日が来るとは…… イベントが終わっても「現実だったのかな」と思ってしまうほど、夢のような時間でした。 思い出しながらテンションが高ぶって、いろいろすっ飛ばして書いてしまいそうなので まずはn.SSignさんのことを簡単に紹介させていただきます。 こちらをご覧ください‼︎ 実は、n.SSignのみなさんには今年1月にも『動はじK-POP学校』に出演いただきました。 この自己紹介動画、メンバー一人ひとりの個性が光っていて、何回も観られてしまう沼動画です。 (私の母はこの動画ですっかりn.SSignさんにハマりました) 放送後、COSMO(*2)の皆様からの温かくて大きな反響もあって、今回の出張収録が決まりました。 ありがとうございます! 全瞬間が見どころ!ファン必見のお気に入りポイント 公開収録当日。 アナウンサーを7年間続けているものの、たくさんの方の目の前で司会する機会にあまり恵まれなかった私。 『ワイド!スクランブル』とナレーションの仕事を終えて やっと現場に到着した本番1時間半前から、 心臓が身体中にあるのかと疑うほどドキドキ。 そんななか開催された第1部は、こちら。 第2部は、こちら。 なんと、舞台裏も緊急配信! 僭越ながら、私のお気に入りポイントを挙げさせていただきますと…… 第1部 ・ぐるぐるバッドでよろよろ、ニコニコ笑顔が癒やし効果抜群のエディさん ・本当は虎なのに猫にもなれるシャイボーイ、ハンジュンさん ・会場を妖精のように駆け抜けるフェアリー、ロレンスさん ・お菓子箱からお菓子が落ちないように、クールにさっと手を貸す気遣い王子、ロビンさん 第2部 ・トップバッター、カントリーマアムにも動揺せず華麗に! みんなの頼れる伝説の優等生、カズタさん ・メロンパンに動揺して赤髪と同じくらい赤くなってしまった猫、ジュニョクさん ・つけ襟を頭に。誰よりも演技に熱が入る、縦割れ腹筋のヒウォンさん ・壁になり「壁だよ」と親切につぶやく、ムキムキ王子ソンユンさん(壁の表情にご注目) 全瞬間が見どころなので選びきれないですが…… COSMOの皆様、ぜひお気に入りポイントを教えてください。 n.SSignの心の絆 一生忘れられない大切な思い出になりました。 私のムチャブリにも応じてくださったn.SSignのみなさん。 いつも私たち番組側が想像する何万倍も全力で、前向きに、楽しく取り組んでくださる姿には 尊敬や感激の思いが入り混じって、ぐっと感情がこみ上げてきます。 いつも目がキラキラしていて、今という瞬間にワクワクしているのを感じて…… 心が本当にまっすぐで、きれいなんですよね。 カメラが回っていないときや舞台裏でも、ステージ上と変わらないわちゃわちゃ感で メンバー同士で楽しくお話しされているのが、微笑ましくて。 目線の合い方や距離感に、家族のような信頼関係、心の絆を感じました。 MC古家さんに助けられた、ドキドキの公開収録! ちょっと脱線して、私の話なんですが、 ファンミ前日、台本の時間割を確認しながら、ふと「時計が必要なんじゃないか?」と。 普段はスタジオにあるカメラ映像の画面に時間が表示されていたり、スタッフの指示で進行したりと、あまり時計は必要ではないので、持っておらず。 よくよく考えたら持ってないとまずいかもしれないぞと、前日、急きょ電器店に走り、購入した時計。 しかし当日、1ミリも時計を見ることはありませんでした。 現場では、MCの古家さんに全力でおんぶにだっこ状態。 古家さんの仕事ぶり、もうそれはそれは神でした。 決められた進行時間と闘いながら、通訳さんと息を合わせて、おもしろいと思ったところは広げて、ファンの方が知りたいパーソナルな情報を引き出して、ツッコミを入れて……。 目が回るほど忙しい。目の前にお客さんがいらっしゃるので、失敗が許されないわけです。 テレビ収録のように、スタッフからたくさんの指示が飛んでくるわけではなく、自分ですべてを進めなきゃいけないという、極限の生放送。 古家さんがたくさんの俳優さん、K-POPアーティストに信頼される理由が、横からビシビシ感じられました。 一方で、普段から“あとから編集される”のが前提で司会進行をしている私。 もっとピリッと緊張感を持って仕事しなくては。 COSMOの皆様、ありがとうございます! 最後に…… 舞台に立って感じたんですが、n.SSignのみなさんに初めて会ったときの印象と、COSMOの皆様から感じていた印象が同じだったんです。 ポジティブなエネルギーに満ちていて、穏やかで優しい。 双方が似ていることを、一瞬で体感して感動しました。 COSMOの皆様、いつも温かいメッセージをありがとうございます! 私も、そして携わっているスタッフさんも、いつも本当に励まされています。 またいつか『動はじK-POP学校』、開校されますように。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/n.SSign グループ名は“net of Star Sign”の略語で、“星座の連結(星のつながり)”という意味が込められています。 *2/COSMO n.SSignさんのファンダムネーム。星座をつなげると宇宙ができるように、n.SSignさんとCOSMOさんがつながれば“無限の力を発揮できる”という意味が込められています。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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夢の“韓国留学”が実現!漢陽大学で得た「意欲的に学ぶことの大切さ」|「林美桜のK-POP沼ガール」第16回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 絶賛、鬱々とした毎日を送ってます(前回から変わらず)。 気持ちが上向きになるのに時間かかりすぎるタイプです。 特にバラエティの収録のあとがダメなんですよね……すぐ放送されたらいいのに、収録から放送まで時間がかかるのは、とってもメンタルを食い散らかされちゃう。悩んでも変わらないのにね! ですが、これからコンサートやファンミの予定があるので、それを楽しみにがんばっている今日このごろです。 大学時代からの夢「韓国留学」がついに実現! 3月の末、1週間の休みを取り 韓国の大学に4日間の超短期留学をしに行ってきました! まず、留学したきっかけなんですが 普段からお世話になっているキム・スノク先生が中心となって企画されたプログラムであることに運命を感じたから そして、大学時代から抱いていた「韓国に留学して韓国語を学んでみたい」という夢に、ようやく向き合って実現してみようと思ったからです。 当時からこの夢は、頭の中でふんわり浮遊していたり、全速力でよぎったりしてはいたのですが 大学生活が楽しかったし、コンサートなど推し活で忙しかったし……全部言い訳ですね。 なんといっても勉強が苦手だからという理由で、いつだって怠惰な自分との戦いに負けて、常に優先順位の下位に送られていたわけです。 韓国語の勉強が日本でもできていないのに、留学するのはまだ早い。そう思って忘れていました。 ところがどうしたことでしょう。 社会人になり、韓国語を学び始めると、あんなに暇だった学生時代に留学すればよかった……と頭を抱えるわけです。大矛盾。 正直、悩んでいる暇はないので、運命と感じた己の直感を信じて……えいっと決めました。 まるで韓ドラ? 現地で韓国語を学んだ4日間のキャンパスライフ 今回はひとりぼっちで渡韓。しかも大学に通うということでドキドキ。 ソウル唯一、駅直結の漢陽(ハニャン)大学(*1)。 通学路で大学のスカジャンを着ている学生がたくさん。なんだかほっこり。 4日間、語学堂で毎日10時から17時まで韓国人の先生の授業を受けて、発表などをする内容でした。 ただ、久しぶりすぎる学生生活のカムバック。 歳を取ったからといって昔の学習態度がアップデートされているわけではなく、集中力を保ち続けるのが昔と変わらず大変でした(笑)。がんばって勉強している学生さんを尊敬します。 なによりも、頭に流れ込んでくる韓国語の量に圧倒されちゃいました。 日本で韓国語を勉強していると、文法や単語は日本語で説明してもらえるので、その部分まで韓国語だともう大混乱。 初めのほうは言われていることもわからない、話したいことがまったく韓国語で浮かばない、浮かんだとしても声に出せない。これぞお先真っ暗。 心温かいまわりの生徒さんに助けてもらうことで、やっと生きられるといった感じでした。トホホ。 そしてこの超短期留学は、ただ学ぶだけではなく、プログラムが工夫されていて、漢陽大学の生徒さんとお話しできる機会がありました。 鍋を囲みながら こちらが拙い韓国語で話しても、ニコニコお話ししてくれて、学生生活だったり、おすすめスポットだったり、ちょっとした日々の愚痴だったり(笑)。 学生ならではの他愛もない話の内容や雰囲気がすごく懐かしくて、でも韓国語だから新鮮に感じて……不思議な感覚だったなぁ。 後日、学生さんが「日本語を学び始めた」とSNSに掲載していたのがすごくすごくうれしかったです。 昼食は学食で食べました! 韓国の大学で学食を食べるなんて……夢かな。 韓国ドラマかな。ヒロインかな(え?)。 石鍋で提供されるのが韓国っぽいなと感じたんですが、いかがですか? おいしかったです とてつもなく広く自然豊かなキャンパス内を散策していたら、 この鳥、カラスではないんです。 韓国の国鳥「カッチ」です。 見かけたら幸運が訪れるらしい……。 やっと慣れてきて、前より少し韓国語を理解できたり話せたりするかも……? で、あっという間に最終日。 最後には修了証までいただきました。 4日間講義をしてくださったチェ先生 キム・スノク先生、カムサハムニダ たった4日間ではありましたが、ぎゅっと濃い時間で、きっとこのあともずっと記憶される日々です。 帰り道は達成感と寂しさと……まるで卒業式の帰り道のような気持ちでした。 アン・ボヒョンのファンミでも「韓国語が聞き取れた…!」 あと、実はこの学習期間にちゃっかり、ファンミーティングに参加する予定を入れていました。 俳優のアン・ボヒョン(*2)さんです。 韓国開催なので、もちろんオール韓国語。 ファンミはゲームなどもあるので、韓国語がわからなかったら……と不安もありましたが 学習の成果なのか、もちろんすべてではないですが聞き取れたり、頭の中で訳するスピードもギリギリ間に合ったりと、楽しめました! 現地で学んだという実感を得ることができて、すごくうれしかったです。 そして、アン・ボヒョンさんは韓国で会っても日本で会っても、素晴らしく素敵。 「学びたい」意欲が、勉強が苦手だった自分を変えた 今回は書きたい気持ちが前のめりで、長くなってしまいました……。 ところどころ大変だった感じに書いていますが、やっぱり好きなことなので、つらいといった感情はまったくなかったです。 あと、勉強をやらされているわけではなく、自分の意思で学びに来ているので、自分でも驚くほど意欲的に勉強できたように感じました。これが社会人になって勉強することの醍醐味なのかもしれません。 今回のメンバーには、私より年上の方もいらっしゃって、学習への前向きな姿勢や、韓国語における美しい言葉の選び方、知的で深みのある文章の作り方に触れ、この先を照らされたような感じがして感銘を覚えました。 私も長く韓国語を学び続けたいな、と。 大学のキャラクターと 久しぶりの学生生活に疲れて、ほぼ観光らしい観光はできなかったのですが、訪れてよかった場所などは今度ご紹介させてください。 超短期留学から帰ってきて、今後の日本での学習プランを考え直し、最近は韓国語の会話授業に参加しています! もっと語彙を増やして、ナチュラルに話せるようになりたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/漢陽大学 漢陽大駅直結という、立地条件も魅力的なキャンパス。今流行りの聖水(ソンス)にも近いので観光も楽しめました。語学堂の先生、スタッフの皆様がとても温かくて、アットホームで過ごしやすかったです。広いキャンパスはなんでもそろっていて、困ることがありませんでした! 規模が小さい女子大に通っていた私は、短期間でしたが大きい大学に通えたのがめちゃくちゃうれしかったです。これぞキャンパスライフという感じでした *2/アン・ボヒョン 『梨泰院クラス』や『ユミの細胞たち』、『生まれ変わってもよろしく』など、このほかにも代表作はたくさん。どんな役もハマる天才的な俳優さんです。えくぼが素敵 文=林 美桜 編集=高橋千里
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RIIZEが登場『M:ZINE』と一緒に成長したい!MC・林美桜の新たな決意|「林美桜のK-POP沼ガール」第15回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム お久しぶりです。最近、誕生日を迎えまして、30歳になりました。 なんだか文字にすると急に実感が湧くのが不思議。K-POPファン歴はこれで人生の半分くらいになるのか……! ファン歴がどんどん伸びていくんだと思えば、歳を取るのも悪くないかもしれないです(笑)。 季節の変わり目で忙しく、なかなかライブに行けない日々が続いていますが…… 私がMCを務める新番組『M:ZINE』が始まりました! 『M:ZINE』とは…… アーティストの方、芸人さん、私が、「ZINE」(同人雑誌)の編集スタッフとして ひと組のアーティストの特集記事を作っていくというコンセプトの音楽バラエティです。 記念すべき第1回のゲストには、今大注目のボーイズグループ「RIIZE」(ライズ)(*1)をお迎えしています。 そして編集スタッフには、韓国語がお得意なMrs. GREEN APPLEの若井滉斗さん、マヂカルラブリーの村上さん! 豪華すぎます!! まさか私が!? 新番組へのプレッシャーと下準備 今回、この番組の企画の話を聞いたときは、 K-POPと初めて出会った高校時代から、今までの推し活の記憶が脳内に降り注いで、思い出再生以外のすべての機能が停止。 ああ、あのときの……ハイタッチ…… K-POPで哲学した卒論…… 韓国でJ.Y.Parkさんに手を振ったあの日…… 一気に巡って、一瞬窒息するくらい驚きました。 うれしかったのも束の間、襲ってきたのは、全身が埋め尽くされるほどの不安。 私なんかに務まるのか。だけど、やるからには精いっぱいがんばって番組に貢献したい! 収録までに、日本の地上波番組、公式YouTube、音楽番組、SNSのファンの声を集めるなど、今の自分にできる限りの下準備をしました。 ミセス若井×RIIZEの特別コラボに感動! 迎えた収録当日。 RIIZEのみなさん、目が覚めるほどのキラキラしたオーラをまとわれていて、心が洗われるほど礼儀正しくて……(泣)。 収録の序盤は、私をはじめ番組スタッフの緊張感が半端なかったのですが、 RIIZEのみなさんのあたたかい存在、丁寧な受け答えに早い段階で緊張がほぐれ、 終始和やかなムードでした。 すべてがおすすめのシーンなんですが、 中でも若井さんとRIIZEの特別コラボ『Get A Guitar』が最高でした!! 若井さんのギター演奏に合わせて、ショウタロウさん・ウォンビンさんがキレッキレのパフォーマンス。 初めて合わせたと思えないほど息ピッタリでした。 若井さんの弾き姿と音色、軽やかに舞うおふたりに、村上さんと一緒にうっとり。 「私は今、ものすごい瞬間を目撃している」と直感しました。 全K-POPファンに観ていただきたいシーンです。 「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組に 収録後、私はナレーションも担当しているので、 放送の少し前に、ナレーションをつけながら内容を観ることができるんですが、 センスが光るパワーワードの数々、表情一つひとつに 時折ナレーションをつけ忘れるくらい見入っちゃう。 ただ一方で、自分に着目すると、 なんでもっとうまい返しができないのか、あの質問はもっとこうすべきだったよね、何回同じリアクションを……。 弱々しいワードの連発に、完全に自分の中の“陰モード”に引きずり込まれ……。 脳内大反省会。 でも、こんなふうになってしまうのも、K-POPが大好きで、番組を楽しみにご覧になる視聴者の皆様と同じく、私自身も推し活に命を注いでいるからだと思います。 初めて聞く推しのエピソード、見たことのないリアクション、出演者とのかけ合い。 そんなものが見られた日には、元気に学校へ行けたり、仕事がつらくても踏ん張れたあのときの私を思い出して…… 観てくださる皆様の「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組にしたい、その中で少しでも役に立ちたいと思ったんです。 下調べ、話の聞き方、話し方、タイミング。 アナウンサーの原点に立ち帰って精進。 反省は必ず次に活かす。 番組と一緒になるべく早く、成長していきたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/RIIZE 2023年9月にデビュー。デビュー曲「Get A Guitar」が1週間でミリオンセラーを突破するなど、世界が注目するアーティストです! 抜群のパフォーマンス力、圧巻です。ぜひMVを観てから『M:ZINE』をご覧ください。ギャップがたまりません INFORMATION テレビ朝日『M:ZINE』 毎週金曜深夜1:30〜放送CSテレ朝チャンネル1(有料放送) 『M:ZINE 完全版~K-POPアーティストRIIZEの魅力大全開SP』 4月28日(日)12:00~13:30放送 ※3回にわたって放送された地上波回に、未公開を加えた番組 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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あんみつコーヒーのおいしさに震える!マジシャン店主の想いを継ぐ「世田谷邪宗門」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第7杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 雨はあまり好きではないが、街に人が少なくなるところは好きだ。 傘をさしながら散歩をして、長靴を履いてこなかった自分を呪いながら飲むコーヒーはとてもおいしい。平日で雨の日の喫茶店なんて、一番静かで落ち着く。 濡れることや疲れることのマイナスを、雨の日にしか味わえない空気から得られる楽しさが上回ることのほうが多い。 だから雨のときは思いきって外に出ることにしている。たまに、雨だし、行こうと思っていた喫茶店も閉まっていたし、のようなさんざんな日もあるけれど。 ちなみに、今の時期こそ行きたいお店といえば、高円寺の名曲喫茶ネルケンだろう。先日久しぶりに一杯コーヒーを飲みに行ったが、店先の紫陽花は今年もきれいだった。 まるで資料館? 凄まじい骨董品の数々 さて、今回訪れたのは、下北沢と三軒茶屋のちょうど間あたりの住宅街にある喫茶店。1965年創業の老舗「世田谷邪宗門(じゃしゅうもん)」さんだ。 閑静な通りで、レンガの壁が目印のこのお店。扉を開けお店に入った瞬間、思わず息を呑んだ。一歩足を踏み入れると、アンティークの品々が所狭しと並んでいる。 喫茶店で見るアンティーク調のランプが私は大好きなのだが、この「世田谷邪宗門」は天井から数えきれないほどのランプが吊り下げられている。見ているだけで胸が高鳴る。 メニューはシンプルで、バリエーション豊かなコーヒーと、紅茶やココアやジュースなどのドリンク。ライトミールとして3種類のトースト、ケーキがある。 その中で唯一見たことのない「あんみつコーヒー」というメニューがあった。これは世田谷邪宗門名物で、あんみつコーヒー目当てで訪れるお客さんや取材も多いとのこと。味の想像ができなかったので、楽しみにしながら注文した。 それにしても、店内の骨董品が凄まじい。古いカメラがたくさんあったり、古い電話機があったり、壁には火縄銃がたくさんかかっている。 これは、喫茶店の内装のアンティーク品の範疇を大きく超えている。どちらかといえば資料館のようだ。 これまでいろいろな喫茶店を巡ってきたが、過去一番くらいにキョロキョロあたりを見回した。どこもかしこも気になる代物ばかり。 世田谷邪宗門名物「あんみつコーヒー」が絶品! あんみつコーヒーが登場した。たっぷりの寒天の上に、あんことバニラアイスが乗っている。別の器に入っているのが冷たいコーヒーで、生クリームもついている。 このあんみつコーヒーは、黒蜜の代わりにコーヒーをかけるというスイーツ。まずはコーヒーを全部かけて、あんこを少し溶かしてかき混ぜてからアイスクリームと合わせて食べるのがおすすめとのことだ。 あんことバニラアイスの甘さにコーヒーのいい香りと苦味が相まって、ひと口食べただけで震えるようなおいしさ。寒天なので、コーヒーゼリーよりももっと弾力があるのもよい。 あんことコーヒーの相性のよさに舌鼓を打った。これから暑くなるのにピッタリのメニュー。 アイスクリームが溶けてきたころに生クリームも加えて混ぜると、よりまろやかな味わいになる。寒天を食べきったあとに、お椀に残ったクリーム入りのコーヒーも飲み干した。 クリームあんみつはたまに最後のほうで甘みが強く感じられてしまうことがあると思っていたのだが、このあんみつコーヒーは最後の最後までおいしくいただける。 絶対にこの夏はもう一度、なんならもっと食べたいと感じた。 全国5店舗、暖簾分けの条件は「店主がマジシャンであること」 今回お話を聞かせていただいたのは、店主の息子さん。店主さんは今年90歳とのことで、お体のこともあり、今は息子さんがお店にいらっしゃることが多いそうだ。 「邪宗門」というかなり印象的な店名だが、実はこの名前の喫茶店は全国に5店舗ある。そのうち「荻窪邪宗門」は私も何度も行っているお気に入りのお店だ。 世田谷にもあるということを知って、いつか行ってみたいと思っていたので、今回訪れることができてうれしい。 ちなみにほか3店舗は、静岡県の下田、新潟県の石打、富山県の高岡で営業しているそうだ。邪宗門巡りの旅をいつかしてみたい。 邪宗門の始まりは東京の国立で、おいしいコーヒーと骨董品のある、多くの人に愛された喫茶店だったそうだ。創業者の名和孝年さんはマジシャンでもあり、そのコーヒーとマジックに心を奪われた人も多数。 いつからか、その常連客が暖簾(のれん)分けというかたちで、各地に「邪宗門」と名のつく喫茶店を開いたそう。「邪宗門を名乗るには、店主がマジシャンであること」という特殊な条件がついていたとのことだ。 最大で8店舗あった邪宗門は、店主8人が全員マジシャン。なんだかマンガや物語のようだが、実際に、世田谷邪宗門の主人もマジシャンだという。以前はお店でマジックを披露することもしばしばあったそう。 ちなみに邪宗門の店主は「門主」というらしく、昔は1カ月に一度ほど「門主会」という集まりも開かれていたらしい。 その話を聞いて、「マジックができる邪宗門の門主たち」という響きから、秘密結社のようなものを想像してしまった。実際はみんなで楽しく遊んでいたとのことだ。 現在営業している邪宗門は、門主のご夫人やご子息などがお店を切り盛りしているところが多いので、なかなかマジックをお目にかかれる機会はなさそう。それでもワクワクする響きのお話だと思った。 西荻窪の「物豆奇」は、世田谷邪宗門の姉妹店! 店主の息子さんと喫茶店についてお話ししていたとき、私は西荻窪の「物豆奇」(ものずき)というお店が好きだと何気なく言った。すると、「物豆奇はここの姉妹店なんだよ」という衝撃の事実を教えてくださった。 たしかにそこも店内にアンティークが置いてあり、壁にもたくさんかかっている雰囲気がどことなく似ているのだが、私はまったく知らなかったので驚いた。 物豆奇の店主と世田谷邪宗門の店主は、今でも交流があるそうだ。最近少しずつわかってきたのだが、喫茶店は意外と横のつながりがあるらしく、それもおもしろい。 物豆奇の店主もまた国立邪宗門のファンだったそう。そこで邪宗門という喫茶店を開こうとしたが、その方はマジシャンではなかったため邪宗門は名乗れなかったらしい。ここまでおもしろいエピソードが聞けるとは思っていなかったので、思わず笑ってしまった。 ただ、国立邪宗門の雰囲気を強く受け継いでいるのは物豆奇とのこと。国立はもう閉店してしまっていて行くことができないので、今度西荻窪に行ったら物豆奇にまた必ず行こうと思った。 歴史あるインテリアで、半世紀前にタイムスリップ? 昔は今ほど骨董品が高価ではなかったそうで、そのころに店主は次々に買いそろえてお店に置いていったそうだ。 店の奥には奥様の趣味の音楽のものも並んでいる。ジュークボックスが置いてある場所も、今はなかなかないと思うので、貴重で見ていて楽しい。 扇風機は半世紀ほど前からあるもので、いまだに動くそう。きちんと稼働していて、古くからのものが大切に使われ続けているのは本当に素敵だと思った。 ピンクの電話も現役だそうで、世田谷邪宗門に電話をかけると、ここにかかってくるらしい。私の世代はダイヤル式の使い方も知らない。かくいう私も実際にダイヤル式の電話機で電話をしたことはない。タイムスリップしたような体験ができるかも。 世田谷邪宗門はアニメの聖地にもなっていて、そのアニメのファンや海外からもお客さんが訪れるそう。 それでも常連さんが来られることを大切にしているとのことで、この取材の日も常連さんがいらした。お店の人かと思うくらいに、邪宗門や喫茶店のお話をしてくださって、とても楽しい時間だった。 “好き”を貫く精神が、居心地のよさの理由 そういえば、邪宗門の暖簾分けの条件はもうひとつだけあったそうだ。それは「お金儲けに走らないこと」。 “好き”を貫いてお店を営業している精神が邪宗門からは感じられる。だからこそ味わえる居心地のよさがきっとある。 街の中の一枚の扉を開くだけで、こんなにも素敵な世界が広がっているということがなんだか幸せ。ひと休みにも、ちょっとした現実逃避にもいいかもしれない。 下北沢や三軒茶屋から歩いて世田谷の街を楽しみ、このお店まで行ってみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 世田谷邪宗門 平日:9時〜17時、土日:9時〜18時、水木:定休日 東京都世田谷区代田1-31-1 世田谷代田駅から徒歩11分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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“談話室中毒”になりそう!具だくさんナポリタンが人気の「談話室 ニュートーキョー」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第6杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 喫茶店での過ごし方は無限にあると思う。以前までの私は「喫茶店に行く」ということ自体が楽しく、反対にいえば足を運んだ時点で目的が達成されてしまっていた。最近になってようやく「どう過ごすか」ということを考えるようになってきた。 音楽喫茶であれば、ひとりでゆったりと音楽を楽しむ時間を過ごすということが目的になる。モーニングで新聞を読んでみたり、昼下がりに読書してみたり、店内でうっすら流れるラジオを聴きながら人を待ってみたり。 喫茶店というのは10人いれば10通りの過ごし方があるからおもしろいのかもしれないと思い始めた。 エスカレーターで2階に上がる「談話室 ニュートーキョー」 今回はJR日暮里駅東口から徒歩1分、駅前のロータリーの前にある「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」さんを訪れた。 通り沿いのショーケースに並ぶメニューがどれもおいしそうで、お店に入る前から何を食べようかとワクワクする。 お店がある2階へはエスカレーターに乗っていく。過去に数えるほどしか見たことがないが、2階にある喫茶室へ向かうためだけのエスカレーターはかわいらしさがある。昭和の時代からあるビルに多い印象だ。レトロモダンを感じられてよい。 店内に入るとその幽玄な景色に圧倒される。ビルの2階のワンフロアは丸々この「談話室 ニュートーキョー」で、なんと客席は160席。平日の昼時もとうに過ぎたころだったが、店内では食事やお茶をしているお客さんで賑わっていた。 大理石の壁や赤い絨毯(じゅうたん)、各テーブル席の間の木製の柵に、ゴージャスなシャンデリア。欲しいものが全部詰まっているような、喫茶店らしさであふれる店内。 そしてなにより、木をベースに柄のある赤いベルベット調の生地が張られた椅子がすべての席にある。ひとりがけもソファ席もすべてこの素材。 昭和の雰囲気は感じられるが、清潔感がありピカピカとしている、とても過ごしやすい店内だ。 具だくさんのナポリタンをペロリと完食! 午前11時から午後2時まではランチタイム。 私が訪れたときはランチの時間は過ぎていたが、午後2時からラストオーダーの午後8時25分まで、「サービスメニュー」としてハンバーグやロースカツの定食セットがいただける。プラス110円でドリンクをつけることも可能。 夜ご飯の時間にも食べられることも含めて、とても良心的だ。ちなみに平日は7時から11時まで、土日祝日は8時から11時まで、モーニングの営業もある。 私はグランドメニューの「下町のエビ入りナポリタン」を注文した。銀のお皿がたまらない。 ナポリタンにエビが入っているのは初めてだったが、これがとてもおいしかった。定番のウインナーももちろん入っており、具だくさん。さらにゆで卵が上に乗せられているのがよい。かわいらしくてキュンとしてしまう。 ソースの味も絶妙で、最初に見たときはかなりボリューミーに感じたが、あっという間にペロリと完食してしまった。 これはナポリタンの特集でも紹介されるほどの名品だそうで、お客さんからの人気も高いメニューとのこと。ちなみにテイクアウトもできる。 アイスコーヒーはすっきりとした苦味のある味わい。ひと口飲むと落ち着いた気持ちになり、談話室の空気に溶け込むような感覚があった。コースターもお店のオリジナルで素敵だ。 店内にある絵をぼんやりと眺めたり、店内の音楽に耳を傾けたりして、食後のひとときを過ごした。いつまでもいたくなるような空間だ。 ほぼ毎日来店する“談話室中毒”のお客さんも このお店について、店長さんにお話を伺った。 「談話室 ニュートーキョー」としての営業は45年近く続いており、店長さんも30年ほどお仕事されているとのこと。 談話室は地元の人に愛され続けている喫茶店で、常連さんも多いそうだ。365日のうち340日ほど来店する“談話室中毒”といってもいいお客さんもいるとのこと。 年中無休で朝から夜まで営業しているから、どんなシーンでも訪れることができる。仕事に行く前のモーニングや、誰かと会うときにお茶をするなど、日常の一部になる喫茶店だ。 「ニュートーキョー」というのは会社の名前で、もともとはこの日暮里駅前のビルの1階でパチンコ店を営んでいたそうだ。そしてその2階は喫茶室として営業していた。さらに上の階には宿泊施設があったらしい。 昔はそのような形態で営業しているところが多かったと店長さんがおっしゃっていた。たしかに、先に記した「エスカレーターで行く2階の喫茶室」は、ほかもまったく同じように、下がパチンコ店で上が宿泊施設だったことを思い出して、なんだかスッキリした。 時代が流れていくうちにパチンコ店などはなくなってしまったそうなのだが、この談話室だけは残り続けて、令和の今もたくさんの人が訪れるお店として営業している。 日暮里駅や駅前も開発で変わっていったらしい。そのなかで、この談話室は変わらず存在しているというのが歴史を味わえて素敵だと感じた。 駅前ロータリーが見える大きな窓は“談話室の顔” 店内は何度か改装はしていて、席の生地の張り替えなどもしているそう。しかし、壁やシャンデリアや銅のテーブルは開店当初からずっと使い続けているとのこと。 長持ちするものが大切に守られているというのは、喫茶店のよいところだと思う。そのような細やかなことが空間全体の温かみにつながっているのではないだろうか。 駅前を見渡せる大きな窓。やはりこの窓際の席は人気らしく、「あそこに座りたい」というお客さんも多いそう。 お店の端にいても窓がちらりと見えて、光が差し込んでいることがわかる。この大きな窓は“談話室の顔”ともいえるかもしれない。 日暮里散策と談話室がセットで楽しめる 日暮里という土地に、正直私はなじみがなかったのだが、店長さんいわく谷中霊園や繊維街に訪れる人が多いとのこと。そのため、霊園や繊維街の帰りにこの談話室に立ち寄るお客さんもいる。 日暮里という街に訪れることと、談話室に寄ることがセットになっている人がたくさんいるのも、やはりこのお店が何度も行きたくなる落ち着きのある空間だからなのではないかと思う。 街や時代が移り変わるなかで、試行錯誤を重ねながら続いてきた「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」。最近ではコロナ禍での営業など大きな困難もあったが、談話室は街の人をはじめ多くの人に愛されている。 朝も昼も夜も、お茶もお食事も。いつどんなときもお客さんを温かく受け入れる。近くに行った際はぜひ訪れてほしいし、談話室に行くついでに日暮里を散策してみてもいいだろう。 私も帰りがけに初めて繊維街を訪れたが、なかなか楽しかった。谷中もまた違った趣がある。一度この街とお店に足を運んでみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー 平日:7時〜21時、土日祝:8時〜21時 東京都荒川区西日暮里2-19-4 ニュートーキョービル2階 日暮里駅から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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地下で出会った“想像以上のオムライス”とは? 44年の歴史に新しさを取り入れる「カフェレストラン 泥人形」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第5杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート “喫茶店巡り”という趣味をとても気に入っている。手軽に始められて、場所にも時間にも縛られず、好きなようにできるからだ。 仕事や旅行で普段は行かない遠い土地を訪れたときに、そこで喫茶店を探して入るのも楽しい。店員さんが何かを教えてくれたり、地元の人と話せたりと、人との触れ合いが生まれるところも魅力だと思う。 唯一難しいのは、お店がなくなってしまうこと。行こうと思っていた店がさまざまな事情で閉店していく。行きたいなぁと思うだけでは仕方ないので、いつも少し焦りながらあちこちを巡る日々だ。 新しいものは次々と増えるが、古いものが急に増えることはない。それも魅力ではある。 地下にひっそり佇む、レンガ壁の「泥人形」 今回訪れたのは千駄ヶ谷駅と北参道駅どちらからも徒歩5分以内の、通りに面したお店。「カフェレストラン 泥人形」さんだ。 「泥人形」と大きく描かれた看板が目につく。レンガ壁の階段を下り、お店のある地下1階へと向かう。 お店に入ってすぐ、その雰囲気に圧倒された。木製のテーブルと椅子に、レンガが積まれた壁、ほどよい明るさで包まれた空間は落ち着きと安心を感じられる。 お昼時も過ぎた時間ではあったが、店内は談笑するグループやひとりでくつろぐお客さんなどで賑わっていた。 なによりお店の中央天井にあるステンドグラスが目につく。人物やバラなどが描かれたステンドグラスは温かな光で照らされており、引き込まれるような魅力があった。 ボリューム満点!フワトロオムライスの風味にびっくり 席に着く。星座のマークが刻まれたおしゃれな椅子は、背面と座面がグレーとも茶色ともいえない絶妙な色のベルベット調生地。素敵な椅子に座るとそれだけで気分が上がる。 ランチが注文できるとのことで、人気だというオムライスとアイスコーヒーをセットで注文。ほかにもナポリタンと日替わりランチが人気とのこと。どれもおいしそうで、近くで働いていたら毎日好きなメニューを頼みたいなぁ、なんて思った。 オムライスはフワトロタイプの卵にたっぷりのケチャップ。どう写真を撮ってもなかなか伝わりきらなさそうだったのだが、想像以上にボリューム満点。腹ペコのときに食べに行くのがよさそうだ。お味噌汁がついてくるのもうれしい。 ひと口食べるととろけるような卵がとてもおいしい。ケチャップライスに少し変わった風味を感じたので、もうひと口食べてみて驚いた。イカやエビが入っている。シーフードのケチャップライスだ。 ベーコンなども入っていて具だくさんで最高。お腹いっぱいになるまで食べられて大満足だった。 コーヒーはすっきりとしていながらも苦味を感じられて、食後にピッタリ。もうアイスの季節だ。銅のタンブラーは春の訪れ。 楽しくおしゃべりをしているお客さんたちの雰囲気がよく、つい長居したくなってしまうような居心地のよさがある。 歴史ある喫茶店だが、Wi-Fi使用OK! ご夫婦で営まれているとのことで、おかみさんにお話を伺った。 1980年にオープンした泥人形は今年で44周年。当時20代だったご夫婦は、それ以前のお仕事を辞めて喫茶店を始めることにしたそう。 ずっと喫茶店をやりたいと思っていたのかと尋ねると「別にやりたかったわけではない、私は美術系のことをしていたし」と意外な返答をいただいた。それでも、なんとなく喫茶店をやるといいのではないかとピンときて始めたとのことだ。 それで半世紀近く、たくさんの人に愛されるお店になっているのだから、おかみさんの鋭い勘に圧倒された。 美術系の経験があったことを活かし、内装などのプロデュースはすべてオープン時におかみさんがしたとのこと。壁から床板から家具まで統一感があり、世界観がしっかりとしている印象だったのだが、これらはおかみさんの細やかなこだわりだった。 家具などは、ほとんどがオープン当初から変わらないとのこと。唯一電話ボックスだけ撤去されたそうだが、「TELEPHONE」と書かれたガラスにその名残が感じられる。 ひとつ驚いたのは、お店の中でWi-Fiが使えること。なかなか喫茶店でWi-Fiを使えるところはなく、パソコンなどの利用を禁止としているお店もよく見かけるのでかなりびっくりした。 「サクサクインターネット見られるほうがいいでしょ、パソコンで仕事している人もよく来るのよ」とおっしゃっていて、新しさを取り入れたり変化したりすることを拒まないその姿がかっこいいと感じた。 愛され続ける「泥人形」店名の由来 泥人形は、ドラマや映画などの撮影やロケでもよく使われているとのこと。取材NGだったり、一般のお客さんの写真撮影を禁止したりしている喫茶店も少なくないが、このお店はそれらも積極的に受け入れているようだ。 また、雰囲気のいいお店ではあるが、お子さんも大歓迎だという。おかみさんがお孫さんのお世話をしていた時期が長かったそうで、小さな子やその家族も安心して過ごせる喫茶店でありたいという優しい心遣いを知ることができた。 お店のすぐ隣に能楽堂があるため、その関係者の方や著名人も多く訪れるそう。どんな人でも温かく迎え入れるところも、長きにわたってお店が愛される秘訣であろう。 インパクトの強い「泥人形」という名前も、おかみさんがつけたそう。初めはご主人が反対していたとのことだが、お客さんから「どろんこ」などと呼ばれ、愛され続けている名前のようだ。 “泥”というと少しマイナスなイメージがあるが、土から生まれ土に還るように中に入ってみると落ち着く場所。お店が地下なこともあり、一歩踏み入れると安心できる空間だという意味もあるそうだ。 昔は店内に人形も置いていたとのことだが、今は特に置かれていなかった。 「やりたいことがあったら今やらないと」おかみさんの若きポテンシャル お店のメニューも、おかみさんがイチからパソコンで作ったものらしい。人に頼むより、自分で学んで、思い描くとおりのものを作っているようだ。 全部自分で作っていてこだわりがすごいですね、と言ったところ「だって自分の店だもん」とおっしゃっていた。 こだわりを持ちながらも常にアンテナを張り、何が必要で何が不要かを吟味して取捨選択しながら進化していく。なかなかまねはできない。本当に素敵な方だと感じた。 時代の流れは早いから、やりたいことがあったら今やらないと。置いていかれる前にまず行動する、そこから考えてみればいい。というようなことを話していただいた。 見た目も中身も若々しくアグレッシブなおかみさんからは学ぶことがたくさんあり、またお話をしてみたいと感じた。 偶然にも私と誕生日が同じだということがわかって、それも盛り上がった。魅力的な方が営んでいる店はやはり魅力にあふれている。 半世紀近く続く愛にあふれた都会のオアシス。誰かとランチをしに行くときにも、ひとりで何かに集中したいときにも立ち寄れる「カフェレストラン 泥人形」。 ぜひ一度は足を運んでみてほしい。次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 カフェレストラン 泥人形 10時〜19時 日曜日は定休日 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-20-2 地下1階 千駄ヶ谷駅から徒歩5分 北参道駅から徒歩5分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(北九州記念)
今週から小倉、福島開催が始まり、いよいよ夏競馬も真っ盛り。今年は例年と小倉、中京の開催が入れ替わり、レース史上初となる北九州記念の6月開催。小倉芝は養生十分なのでコンディションはいいでしょうが、週なかばにはまとまった雨。開幕週、芝1200メートルのハンデ戦。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#169)でも、タレントの成瀬琴さん、三谷紬アナウンサーとともに、6月30日(日)の小倉11R・北九州記念はいかに突破口が多いかを話しています。こういうレースは一点突破、全面展開です。 ◎③サーマルウインド。 人気は蓋を開けないと分かりませんが、葵S組の3歳馬に集まりそうな下馬評です。好タイムの決着で軽ハンデなので、むべなるかなとは思いますが、ここではいわゆる状況的に勝負がかりのサーマルウインドに◎。奥村武厩舎は、ノースブリッジをずっと在厩で使って結果を出すなど、調整スタイルがユニークで評価すべき厩舎です。今回は栗東トレセン入りしての調整で随分具合がいい。関東馬が栗東滞在込みの小倉重賞遠征ですから、勝ち負けを見込んでいて当然。鞍上も早い段階から前走に続き川田を確保。ゲートが良くない馬なので、継続騎乗はありがたいところ。出遅れればその時点でありませんが、千二でそんなことを言っていては馬券を買えないので、スタートは決まるものとします。ハンデ55.5キロは気持ち見込まれましたが、ハイペースの好位差しでチャンスありでしょう。 ○④グランテスト。 3勝クラス勝ち直後なので前走から3キロ減となる53キロ。2走前の小倉で4着に負けましたが、だいぶ窮屈なレースをしいられたもので、小倉が走れないわけではありません。隣枠のサーマルウインドと似た位置で競馬しそうという読み。 ▲⑨ペアポルックス。 5戦2勝2着3回とキャリア全て連対。好位に付ける脚があって立ち回りもうまく、安定感がある一方で少々勝ちみに遅いという印象。葵Sで先着されたピューロマジックと前走で2キロあった斤量差が1キロに。枠も真ん中で、うまく好位を取れそうなところなのは歓迎。 ☆⑫ピューロマジック。 二の脚が速くハンデも53キロ止まり。同型が多くとも行けそうな雰囲気はあります。行き切ってしまえば、そうそう止まらない馬場。いつまでもからまれると微妙ですが。 馬券は3連単2頭軸マルチ。 <軸>③④→<相手>②⑨⑪⑫⑬⑭。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(宝塚記念)
宝塚記念が行われる6月23日は、今年の174日目。半分には少し足りませんが、宝塚記念の上半期締めくくり感は競馬ファンの共通認識。さあ一年の半分をいい形で締めくくりましょう。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#168)は、6月23日(日)の京都11R・宝塚記念を予想しています。ゲストは成瀬琴さんです! ◎⑫ブローザホーン。 日曜の京都芝は蓋をあけないと分かりません。少々雨が降っても、改修後の京都はそれほど悪くならないくらい排水性も良く、極端な道悪とはなりづらい。それでも天気予報を当てにするなら、お湿りは確実でしょう。そしてブローザホーンはキャリア20戦のうち、半分の10戦がやや重、重、不良で占められる生粋の雨男。なおかつやや重~不良で【4/1/2/3】と雨が降った馬場をほぼ苦にしないので、陣営は雨ごいをしないまでも週末の雨予報は歓迎。というか、420キロ台の小柄な馬で良の切れ味勝負になると上位人気馬には及びません。雨でスリッピーな馬場になるか、大幅に湿ってかなり時計がかかる馬場になるかしないとチャンスは少ない。ブローザホーンのレインブリンガーぶりに期待の◎です。 ○④ドウデュース。 能力的に、そして実績的にもドウデュースが最右翼で、続くのはジャスティンパレス。これに異論は少ないでしょう。道悪想定で予想するならピッチ走法のドウデュースを上に取ります。 ▲②ジャスティンパレス。 やや重だった昨年の天皇賞・春を勝っていますが、良馬場の方がいいフットワーク。淀で滑りやすい馬場にならなければ力は発揮できそうですが。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>④⑫→<2着>④⑫→<3着>①②⑦⑩⑬。 <1着>④⑫→<2着>①②⑦⑩⑬→<3着>④⑫。20点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マーメイドS)
函館スプリントSは◎☆△でした。どうしてこの印で3連単の目を引けていないのか…と頭を抱えましたが、「サウザンサニー いい脚で突っ込んで4着っぽい」で4着とか、「ウイングレイテスト 初千二、59でむしろ狙い目の感」で2着とか、全頭評価がさえていましたので報告します。読者の皆さんにおかれましては、こちらの全頭診評価を見て、競馬仲間にあのレースのあれは~やろ、という形でドヤるのに使える一言コメントとなっております。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#167)は、6月16日(日)の京都11R・マーメイドSを予想しています。ゲストはギャンブル芸人じゃいさんです。 相変わらず勝者の余裕があります。 ◎①ベリーヴィーナス。 キズナ牝馬のパートナーといえばソングラインでG1を勝った戸崎や池添、アカイイトの幸が思い浮かぶと思いますが、筆者は藤懸です。ハギノピリナで2勝、オークス3着(16番人気)、シャムロックヒルでマーメイドS制覇(10番人気)、アネゴハダでCBC賞3着と、キズナ牝馬に乗せたら上々の成績。単勝回収率256%、複勝回収率194%。そんな藤懸の直近キズナ牝馬パートナーがベリーヴィーナス。下鴨Sで単勝8番人気、20.7倍で激走して相性の良さを発揮しています。単なる偶然と捉えることもできますが、違うと思います。キズナ牝馬は「前哨戦に強い、非根幹距離向き、ムラ、短縮や馬具装着が効く」などの特徴があります。厩舎スタッフとの密な連携や気性の理解が重要なタイプが多いため、調教技術が高く人柄に定評のある藤懸に癖はありつつ走るキズナ牝馬が集う…というわけです。あとタフで、詰めて使うのもプラスになるのがキズナ牝馬。中1週でも心配無用です。最内枠もハナを切るには絶好でしょう。logirlのコラムなので書いておきますが、ももクロをトレセンに広めたのは、栗東は藤懸貴志、美浦は嶋田純次です。 ○⑨コスタボニータ。 牝馬の2000メートル重賞なので、ペースはスローの見立て。ベリーヴィーナスとアリスヴェリテが競って流れが速くなれば、2頭とも沈んで馬券も外れますので、ベリーヴィーナスを◎にした時点で印もスロー想定です。後方待機組より先行勢を重視。コスタボニータは福島牝馬Sを4角4番手から押し切ったように、ある程度のポジションを取って、その利を生かすタイプ。出来も引き続き良く、重賞V直後なら56キロでも買いとみました。 ▲⑧セントカメリア。 牡馬相手の都大路Sで上がり3F33秒1を使って3着。評価すべきレースでしょう。どうにも乗り難しく、気性面でも安定しないのがつらいところですが、気分良くレースができればここでも上位争い可能です。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>①→<2着>⑧⑨→<3着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮。 <1着>⑧⑨→<2着>①→<3着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮。 <1着>⑧⑨→<2着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮→<3着>①。54点。買い目にガチ感があふれています。ベリーヴィーナスが走った際に取り逃す気はありません。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
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Task have Fun Diary 公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「Task have Fun Diary公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年4月27日(土)開催!「タスクダイアリーお笑いライブ」 logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中!Task have Funの番組「Task have Fun Diary」初の公開収録!今回はTask have Funとオジンオズボーン篠宮暁の4人で初の試みとなる「お笑いライブ」を開催!漫才あり、コントあり、トークあり、さらにライブも特典会もありのスペシャルプログラムでお届けします。 日時:2024年4月27日(土) 開場18:00 開演18:30~20:10頃(その後特典会あり) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁/??? ※さらに出演者(キャラ?)が追加する場合も有ります。 【応募詳細】 応募期間:2024年4月6日(土)21:30~4月15日(月)23:59締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/post.php?fid=10786_d37bf ご応募お願い致します。 当選発表:当選した方のみ、当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまで お送りさせていただきます。 「Task have Fun Diary公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「Task have Fun Diary」(以下「番組」といいます。)に関連して実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年4月27日(土)18:30開始~20:10頃終了予定(その後特典会予定) (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁 ※出演者は予告なく変更される場合があります 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にショートメールでメッセージもしくはお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅れることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【開催日付近の新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、以下内容を実施する可能性がございます】 ■ご登録いただいたお名前、ご連絡先を、必要に応じて公共機関へ提供させていただく可能性がございます。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑